解説
1943年9月の会議で「クルスクの戦い」の報告を受けたヒトラーは、突撃砲は敵戦車に包囲されない限り、当時主力であったⅣ号戦車よりも優れた戦闘力を持つと確信し、ただちにⅣ号戦車をベースとした「Ⅳ号戦車駆逐車(Panzerjager Ⅳ)」の開発を命じた。
そして、同年10月にフォマーク社の試作車が完成し、それに満足したヒトラーはⅣ号戦車の生産を戦車駆逐車に切り替えることを計画、名称も「Ⅳ号駆逐戦車(Jagdpanzer Ⅳ)」に変更された。
車体はⅣ号戦車のものと同等で、その上部に密閉型の戦闘室をかぶせた格好である。車体前面下部の装甲版が元の直立した形状から角度を持った二面構成に変更されている。
主砲として長砲身型のⅣ号戦車と同じ75mm砲L/48を備え、シャーシ上に砲架を据えた突撃砲型と異なり、前面装甲版に直接接合した「カルダン枠砲架」となったため、車内が広く使えるようになった。反面、重量バランスがフロントヘビーになり、操縦性が悪化した。
Ⅳ号戦車/70
Ⅳ号駆逐戦車の発展型で、主砲がパンターと同じ75mm砲L/70に変更され、車両区分も「Jagtpanzer(駆逐戦車)」から「Panzer(戦車)」に変更された。
当初は「Ⅳ号戦車ラング(=長砲身)」という名称だったが、従来の長砲身型のⅣ号戦車と紛らわしいので、口径名に変更された。そのため、「Ⅳ号戦車/70」というのが正式名称である。
戦車駆逐大隊だけでなく通常の戦車部隊にも多く配備されており、名称の変更のとおり駆逐戦車ではなく、あくまでも長砲身の戦車扱いであった。
生産は、開発したフォマーク社とⅣ号戦車を生産していたアルケット社が担当した。
会社の違いにより、それぞれ「Ⅳ号戦車/70(V)」と「Ⅳ号戦車/70(A)」と呼ばれる。
アルケット社が生産した車両はⅣ号戦車J型の車体の上に、そのままⅣ号駆逐戦車の上部を載せた形になっているため、フォマーク社製より50センチほど全高が高かった。そのため重量がさらに増加(約4t)したため、前半分の転輪が鋼鉄リム転輪となった。