デュ・バリー夫人
でゅばりーふじん
概要
デュ・バリー夫人はルイ15世の最後の公妾(公式寵姫)であった女性。
ルイ16世は公妾を持たず、フランス革命後に公妾制度が復活することもなかったので、史上最後の公妾でもある。
公妾は貴族か豪商の出自という不文律が決あるが、彼女は平民娼婦という最下層の出である。しかしその美貌と長身、そして一時期修道院に入れられて学んだ教養が功を奏し、社交界に入る。
やがて時の王ルイ15世に見初められ、その寵愛を受けることで栄耀栄華を極めた。しかし跡継ぎルイ16世の妃であるマリー・アントワネットとは折り合いが悪く、15世が病に倒れると共に失脚。宮殿を追放された。
その後はイギリスの社交界に再デビューするなど第二の人生を謳歌していたが、軽率にも恐怖政治真っ只中のパリに戻ってしまい、すぐに反革命容疑で斬首刑となった。享年50。
最期
身に覚えのない容疑で死刑を告げられた彼女は、判事に隠し財産の場所を教えることで減刑を求めた。判事は聞き出した財産を全て掘り起こしたのち、そのまま彼女を刑場に送った。
司法取引など成立していない事を知らない彼女は死刑を手違いだと思い込み、見物人たちに必死で無実を訴えた。ギロチンを見ると恐怖のあまり火事場の馬鹿力を発揮し、刑吏四人がかりでも抑えられなかったという。数分の絶叫と抵抗のち、ついに彼女は斬首された。
当時の記録によれば、いつもなら笑ってヤジを飛ばす観衆たちが、彼女の悲鳴と命乞いにはただならぬ感情を覚え、青ざめて次々と帰宅したという。ある観衆は「話と違う、こんなに悲惨なら二度と見に来ない」と困惑していた。
彼女の醜態は娯楽気分で処刑を見る大衆に冷水を浴びせ、瓦のように首が落ちていく恐怖政治は異常なものだという常識を思い出させた。後の人々は彼女をこう評した__
「皆が彼女のように見苦しく命乞いをしていたら、恐怖政治はもっと早くに終わっていただろう」