概要
父はブルゴーニュ公ルイ(ルイ・ド・フランス、ルイ14世の孫)。孫にルイ16世がいる。
曾祖父ルイ14世の死によりわずか5歳で即位し、ルイ14世の甥に当たるオルレアン公フィリップ2世が摂政の座に就いて政務を取り仕切った。
公妾ではポンパドゥール夫人(ポンパドゥール侯爵夫人)、デュ・バリー夫人(デュ・バリー伯爵夫人)が有名。
王としては、プロイセンやイギリスとの戦争に大敗したこと、そして平民の代弁者である高等法院を弱体化したことから、暗君と見做されていた。ただし当時の高等法院は腐敗の極みにあったため、弱体化自体は順当とされている。
あまりに不人気だったため、フランスでは実に150年ぶりとなる大逆事件が発生した。過激派の男からナイフで襲われたのである。犯人は定めに則り八つ裂き刑となったが、正しい執行方法が既に失伝しており、ひどく手間取ったと伝えられている。