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三式中戦車の編集履歴

2013-05-12 18:49:21 バージョン

三式中戦車

さんしきちゅうせんしゃ

大日本帝国陸軍が戦時中に開発した中戦車・・・という名の対戦車自走砲である。

概要

開発前史

 当時陸軍で運用していた九七式中戦車は中国軍との戦闘に

主眼を置いていたため戦車はあくまで歩兵の補助の役目が強かった。

しかし、大東亜戦争に突入し九七式中戦車は南方作戦における

ビルマ攻略戦やフィリピン攻略戦に投入され主砲(九七式五糎七戦車砲)の

威力不足から連合軍のM3軽戦車にすら苦戦することとなる。後に、

一式四十七粍戦車砲に換装した九七式中戦車 チハ新砲塔と一式中戦車チヘを実用化し、

M3軽戦車に対抗可能となるが、M4中戦車には苦戦を強いられることとなる。

それとは別に陸軍は欧州戦線からの情報により、対戦車戦闘を主眼に置いた戦車の開発を行なうこととなった。それが、のちの四式/五式中戦車である。しかし戦局の推移よりそれらの車両が間に合わないと判断するとそのつなぎとなる車両こそがこの三式中戦車であった・・・。

開発

 車体は九七式中戦車や 一式中戦車の流れを汲む物であるが、主砲は九〇式野砲を対戦車砲化した三式7.5cm戦車砲が搭載されている。

 九〇式野砲を搭載した車両としては他に 一式砲戦車(一式7.5cm自走砲)が存在するが、

一式砲戦車とは異なり砲口制退機が装着されている。また砲が大型化したため砲塔自体も大き くなったが、日本戦車の特徴であった砲塔後部の機銃搭載は廃止され、替わりに弾薬ラックが装備されるようになった(このため弾薬搬入用として砲塔後部にもハッチが装備された)。車体や搭載エンジン は一式中戦車とほぼ同等の物であるため、重量が増加した分だけ機動性は若干低下している。量産に着手できたのは1944年(昭和19年)になってからのであった。

性能

 三式戦車砲は徹甲弾を使用する事により約600mの距離でアメリカ陸軍の制式戦車であるM4中戦車の正面装甲を可能性は低いものの打ち抜けるとされており、日本戦車として初めて正面からM4の撃破が挑める車両として期待されていた。

しかし、車体部分は九七式中戦車や 一式中戦車とほぼ変わっておらず、防御面に不安があり、M4の75mm戦車砲を1000mでも防ぐのはムリゲーであり本車両はあくまでも米国で言うGMC(自走式対戦車砲)のように敵戦車を正面からではなく側面から砲撃するような運用法を最初から想定していた。

とはいえこれまでの九〇式野砲搭載の車両であるホニⅠ・Ⅲは固定戦闘室であり装甲板も前方と側面の一部しか覆っていなかった。しかし本車からは全周旋回密閉式戦闘室を採用してあるため攻防力が格段に向上し本車両は本土決戦における対戦車戦闘の要として大いに期待されていた。

完成した車両は戦争末期であったため本土決戦に備えて温存され実戦に参加する機会は無かった。


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