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編集者:yuta
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解説

名称について

 この車は陸軍の中の戦車部隊と砲兵部隊の二つの兵科に配備され、前者では一式砲戦車、後者では一式自走砲と呼ばれました。

本車の作り

 一式砲戦車は九七式中戦車の車体に直接九◯式野砲を搭載したもので、オープントップの簡単な戦闘室(装甲板の囲い)を持ちます。

搭載される九◯式野砲は対戦車兵器ではありませんが装甲貫徹力があり、特にM4シャーマンが登場すると日本軍の対戦車兵器では対処困難になったため有力な対戦車砲として活用されました。そのためこの砲を主砲としたこの車両はのちに対戦車用途に転用され防盾もチハの最大装甲厚の二倍になりました(後述)。

この自走砲は何なのか

 本車は作り的には自走砲そのものです。実際に本砲は本来は歩兵支援を主眼に開発されたもので照準器も曲射用であり最初は装甲も後期型とは違って薄いものでした。

本車の開発はノモンハン事件の直後に始まっており、二年後の1941年には開発が完了しています。にもかかわらず生産が始まったのは1943年末でした(M4シャーマンが太平洋戦線に現れ始めたのもこの頃です)。

主砲の九〇式野砲が対戦車戦闘において安価な対戦車砲になりえることが分かると本砲を搭載したこの車両は戦闘室正面装甲厚の50ミリはチハの二倍(一式中戦車と同等)に増厚され、当初のような歩兵支援用ではなく対戦車戦を意識したものに変わりました。

主砲は一式徹甲弾をした場合1000mの距離で厚さ70㎜弱の装甲板を、500mでは約80㎜の装甲板を100mでは約90㎜の装甲板を貫通できました。

これはM4を正面から撃破するにしては不十分な物でした。が実戦では500m前後の距離でM4を正面から撃破したという報告例があり本車両を鹵獲した米軍からも「あらゆる連合減車両を撃破しうる兵器である。」という高評価をもらっています。

活動

 量産車が出始めるとすぐに本車は前線へ送られたものの、片ッ端から輸送船が撃沈されたためほとんど戦地に届きませんでした。しかしそれでもなんとかフィリピンに届いた四両が大いに活躍しています。

結局は全滅してしまったものの、一式砲戦車は友軍と連携し敵の陣地や車列を攻撃しまくり、輸送トラックを多数、M4戦車を数両破壊しました。

この他に目立った戦果は無く、フィリピンでの戦いが本車のほとんど唯一の活躍と思われます。

つまるところ

 一式砲戦車は恐怖のM4シャーマンに対して(わりと)積極的に機動して攻撃できる、たいへん心強い車両であったでしょう。米軍の本車に対する評価も高いです。

派生車両

一式十糎自走砲

九〇式野砲の代わりに九一式十糎榴弾砲を搭載した車両。実戦参加は無し。歩兵支援用。

三式砲戦車

一式砲戦車の密閉戦闘室版。固定戦闘室でもいいからと三式中戦車の代用ともいえる車両。実戦参加は無し

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