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プロフィール

生年月日1979年4月27日
英字表記bamboo Atlas
性別
毛色鹿毛
ジムフレンチ
バンブーシザラ
母の父テスコボーイ
生産バンブー牧場北海道浦河町)
馬主竹田辰一
調教師布施正(栗東)
主戦騎手岩元市三

概要

生い立ち

1979年4月27日にバンブー牧場にて生まれる。

父・ジムフレンチは1977年にフランスから輸入された種牡馬で、本馬はジムフレンチの初年度産駒。

母・バンブーシザラは競走馬時代に6勝を挙げている牝馬。5代母にウダイプールという牝馬がおり、彼女から連なる牝系には活躍馬が多数いる。バンブーシザラの近親にはリーディングサイアーになったこともあるアローエクスプレスがおり、曽祖母の従兄にはヒンドスタン、同じファミリーラインには、後に活躍するダンシングブレーヴ・[[サンデーサイレンスなど、欧州での活躍馬がいる良血。

幼駒の頃から馬体のバランスが良く期待されていたが、2歳の秋に股関節を脱臼してしまい、いろいろな手段を持ち入り治療に努めたが全快には届かず、デビューを危ぶまれたが、最終的に「駄目でもいいから、とりあえず走らせてみる」と言う結論になりバンブー牧場の牧場主・竹田春夫の父・竹田辰一の所有馬として、栗東トレーニングセンターの布施正厩舎に入厩した。


3歳(1981年)

1981年10月4日、京都競馬場開催の芝1200mの新馬戦にて鞍上・岩元市三でデビュー。初戦は8頭立ての3着に甘える。


4歳(1982年)

翌年1月のダート1600m未勝利戦で1 1/2馬身差で初勝利。2月の400万下条件戦と連勝。しかし3月の800万条件戦で2着の惜敗。そして4月の条件特別戦で2馬身差の快勝。初重賞のNHK杯では12番人気で6着、勝ったアスワンからは3馬身差であった。


東京優駿・日本ダービー

次走は八大競走であり、3歳限定戦となる日本ダービー。28頭立て・7番人気。

レースは1度目のスタートの時、カンパイを起こし外枠出走したロングヒエンが逃げる中で、先行の戦法を取り、最終直線で抜け出して優勝。走破タイムは2分26秒5。1979年のダービー馬・カツラノハイセイコのレコードを0.8秒縮め、初めて26秒台を記録した馬となった。また、騎手、調教師、馬主、生産者のいずれにとっても八大競走初勝利となった。



ダービー後

ダービーの後は休養に入り、秋はクラシック二冠を狙い菊花賞のトライアルレース・神戸新聞杯から始動。

ダービー馬でありにもかかわらず、8頭立て4番人気。レースでは後方一気の追い込みを見せるが勝ったハギのカムイオーから2馬身話された3着。

神戸新聞杯を完走した後、骨折していたことが判明し、菊花賞を断念。以後復帰することなく競走馬を引退した。



種牡馬として

引退後は種牡馬として、菊花賞を勝ったバンブービギン、重賞3勝をあげたエルカーサリバー他、重賞馬を複数頭輩出した。

しかし、サイアーラインとしては壊滅状態にある。


母父としてはサイレントハンター(主な勝ち鞍・産経大阪杯、新潟大賞典、中山金杯)等を排出した。


余談

本馬の主戦騎手・岩元市三氏は、テイエムオペラオーテイエムオーシャンなど、テイエムの冠名で知られる馬主・竹園正繼氏の幼馴染である。2人は鹿児島県垂水町の出身で幼き頃から親しく付き合っていたが、竹園氏は高校卒業後実業家を目指し上京し、暫くは連絡が途絶えていた。しかしバンブーアトラスがダービーを制した際のインタビューにて、竹園氏は岩元騎手をテレビで発見した。

竹園氏は人伝に「岩元は花屋に就職した」と聞いていたため、非常に驚き、「馬主になって岩元と再会しよう」と決意した。その後竹園氏は自身が創業したテイエム技研の成功により馬主資格を獲得し志通りに馬主として岩元と再開した。その後は馬主・調教師の関係で、g1競走7勝のテイエムオペラオーを輩出するなど広く知られたコンビとなっている。




関連タグ

競馬 競走馬 82世代

バンブービギン …本馬の産駒であり、本馬が諦めた菊花賞を制した。

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