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人物像

1964年6月12日生まれ。長野県松本市出身。

阿佐ヶ谷美術専門学校卒業。映画監督の佐藤嗣麻子は妻。


13歳の時に見た『STARWARS』と『未知との遭遇』の影響で特撮の道を目指すようになり、1986年白組に入社。

CMや映画でのミニチュアセット製作や伊丹十三作品でのVFXを担当し、2000年の『ジュブナイル』で映画監督デビューを果たす。


以降、日本でもトップクラスのVFX製作者として大作・話題作を手掛け、実写邦画界では貴重なヒットメーカーとして活躍している。

その一方、2011年の『friends もののけ島のナキ』より、3Dアニメも多く製作している。


2005年の『ALWAYS三丁目の夕日』で第30回報知映画賞最優秀作品賞、日本アカデミー賞監督賞を受賞。その後『続』『'64』と続編が作られ、3作合計で興行収入100億円を突破する大ヒットシリーズとなった。

2014年の『STAND BY ME ドラえもん』で第38回日本アカデミー賞 最優秀アニメーション賞を受賞。

2024年には『ゴジラ-1.0』にて第96回アカデミー賞視覚効果賞を受賞。アジアの映画が同部門を受賞するのは史上初の快挙であり、さらに監督としての視覚効果賞の受賞は、1969年に『2001年宇宙の旅』で受賞したスタンリー・キューブリック監督以来55年ぶり、史上2人目である。

この快挙を受け、帰国後に故郷の長野県から知事特別表彰および市民栄誉賞(松本市)を授与された。

快挙!

さらに、同年にはアメリカの大手エージェンシー「CAA(クリエイティヴ・アーティスツ・エージェンシー)」と契約したことを発表、今後アメリカで活動する際にはCAAが代理人を務めるという。ちなみに、CAAは米国のエージェンシーの中でも最大手の1つで、映画関係では山崎氏も尊敬する映画監督のスティーブン・スピルバーグや、俳優のトム・クルーズ、映画関係者以外ではプロ野球選手メジャーリーガー)の大谷翔平選手などが契約していることで知られる。このことからも、山崎氏がアメリカ国内で非常に高い評価を受けたことがうかがえると言えるだろう。


作風・評価

  • 日本のVFXをリードする映画監督であり、ハリウッドに比べ予算も人員も圧倒的に乏しい現在の邦画界においては稀有な、大作志向の作り手である。
    • それゆえに大作の仕事が次々と舞いこむ売れっ子になっているものの、ヒットを意識するあまりお涙頂戴に傾倒している、説明を台詞に頼りすぎている、など主にVFX以外の面で批判を受けることが多く、常に激しい毀誉褒貶が付きまとっている。特に自身が兼任することの多い脚本については、その手腕を疑問視する声が多い。
    • かつて存在した雑誌『映画秘宝』誌面や、同誌とかかわりの深い柳下毅一郎ライムスター宇多丸などの批評においては酷評の常連である。同誌の取材を受けた際には「敵」じゃないのかと自虐ネタを漏らしてもいる。ただし、宇多丸は山崎のアンチ的な存在であることは否定しており、『アルキメデスの大戦』は寧ろ大絶賛していたりする。
  • 本領であるVFXについてはほぼ毎回高評価を得ており、脚本や演出面で批判される作品においてもVFXにケチが付くことは非常に少ない(というかほぼない)。特に『永遠の0』『アルキメデスの大戦』などにおける太平洋戦争の戦闘描写、『SPACEBATTLESHIPヤマト』での宇宙戦や波動砲の実写映像化などは評価が高い。
    • 『ゴジラ-1.0』では、ハリウッド映画と比べて遥かに低予算(それでも15億円程度はかかったとされるが)でありながら、それにまったく見劣りしない大迫力の映像を作り出し、目の肥えたアメリカの映画ファンからも「一体どうやったらあんな低予算でここまですごい映像を作れるんだ!?」と非常に驚かれたという。上述の通り同作は、第96回アカデミー賞視覚効果賞をアジア史上初めて受賞。彼と白組の映像制作技術が世界トップレベルのものであることを見事証明してみせた。
  • これまでに監督した実写映画では、一貫してVFX統括も兼任している。これはVFX制作の効率化につながっており、『ゴジラ-1.0』のメイキングでは、監督として自身が直接VFXアーティストと会話し指示を出すことで、限られた予算や人員のなかで高クオリティなVFXを実現したと自ら回顧している。
    • ハリウッドではVFXは外注が基本であるが、近年ではVFXに不慣れな監督による無茶な指示や、脚本の急な変更を受けたリテイクによって、VFXスタジオが疲弊し製作費も膨れ上がるという問題が顕在化している。監督・脚本・VFXを一人で担うという山崎の作風は、これらの諸問題を解決する有効な方法と言える(もちろん、良いことづくめというわけではなく、VFXアーティストとしての知見あってこそ初めて可能な芸当であり、どのような映画監督や映像制作会社でも容易に真似できるようなものではないこと、また上述の通り脚本面での批判にもつながってることにも留意する必要はある)。
  • 覚えやすさを狙ったシンプルな英語タイトルが多く、「山崎貴メソッド」などと揶揄的に取り上げられることがある。ただし、これは阿部秀司プロデューサーの発案であり、山崎の考案ではないとされている。

人物

  • 映画監督になれなかったときは教師になるつもりだったらしい。しかし映像業界以外の選択肢はほぼ考えていなかったらしく、後に自身の過去を振り返って「『絶対に映像業界に入る』 という自信だけはありました。親や環境を言い訳にして諦められる道なら、所詮、その程度のことなんだと思います」と強気なコメントを残している。
  • 上述の通り、伊丹十三のもとで下積みをしていたことから伊丹を映画の師匠としており、伊丹十三関連の特集では必ず氏のインタビューが掲載されるほか、後年自身が監督した『STAND BY ME ドラえもん2』には伊丹の妻である宮本信子のび太のおばあちゃん役で出演している。
  • 当初、初監督作として企画したのは『鵺/NUE』というオリジナル企画であった。しかし内容的に高い予算が必要と判断されたため実現せず、もう一つの企画である2000年公開の『ジュブナイル』で監督デビューを果たした。
  • 女性漫画家グループCLAMPと親交があり、『カードキャプターさくら』の山崎貴史のモデルとなっている。曰くお酒が入るとこんな感じなんだとか。
  • 『スターウォーズ』にやられて映画を志した根っからのSF好きなのだが、売れっ子になってしまったが故か、手掛けた映画を見渡してみるとSF以外の作品の方が多い。今や彼の代表作である『ALWAYS三丁目の夕日』についても、当初は「SFをやりたいのに何で昭和をやらなくてはいけないのか?」と乗り気ではなかったそうだ。
    • しかし製作をするにあたり「CGを駆使したVFXなら、未来の空想世界だけでなく実際にあった過去も描いて人の心の奥まで揺さぶる力がある」と考えを改めたという。
  • 戦争映画を多く手掛けていることについて、自分の年齢が戦時中の世代を直接経験した世代から話を聞けた最後の世代になるという思考から反戦を訴えているとのこと。しかし、戦争の悲惨なことのみを伝える内容が正しい反戦映画ではあるがそれをすると一般人に伝わりにくいため、やはりエンターテインメント作品にしながら伝えていきたいと述べている。
  • BUMPOFCHICKENの大ファンであり映画の主題歌へのオファーやミュージックビデオなどの映像作品の製作を担当するなど互いに深い関係にある。
  • 『ドラゴンクエストユアストーリー』については、クライマックスでの衝撃的な展開から、山崎に批判的な勢力から現在でも恰好の槍玉として挙げられることが多い。ただ、これに関してはプロデューサーや堀井雄二からの熱烈なオファーを受けたが、長らく断り続けており、最終的に山崎本人が折れて手掛けることになったという経緯があった模様。山崎本人はゲームの映画化については「ゲームは人によっては何十時間もやるメディアですから感情移入の幅が半端ない。それを映画という技法で対抗するのは難しい」「そもそもゲームを映画化してうまくいった作品をあまりよく知らない」と批判的な分析をしていたという。件の展開についても、止めずにGOサインを出したスクエニ側や堀井氏にも責任があり、同作の責任のすべてを山崎氏におっかぶせるのは筋違いではないかという意見もある。
  • いつかやってみたい映画を訊かれ、原作版『風の谷のナウシカ』の実写映画化と答えたことがある。
  • 最近感動した映画に実写版『ハケンアニメ!』を挙げており、「映画を作ってる人が観たらやられちゃう」「良すぎて、これを観て10年また仕事ができると思った」と感想を述べるほど高く評価しており、「絶対観たほうがいい」と自分のスタッフに、ハケンアニメ!の半券をくれたら映画代を払うという啓蒙活動まで行う程だった。

ゴジラとの関わり

オスカー獲ったどー!

  • ゴジラシリーズの大ファンである。野球中継が中止になった際にいわゆる「雨傘番組」としてゴジラ作品が放送されていたのをよく見ていた世代で、子供の頃から馴染み深かったとのこと。幼い頃からよくゴジラの絵を描いており、大人になってからもゴジラのラフスケッチを描きながら自分にとっての理想のゴジラ像を模索し続けていたという。
  • 2007年の『ALWAYS 続・三丁目の夕日』冒頭では、昭和の日本を蹂躙するゴジラをフルCGで描き、シリーズファンを歓喜させた。邦画界においてフルCGのゴジラが本格的に描かれたのは、これが初めてのことであった。

夕日町の悪夢

  • しかしその後、山崎のVFX技術を活かした新作ゴジラに期待する声も大きかったものの、なかなかゴジラ作品を手掛けることはなく、実現したのは2023年『ゴジラ-1.0』でのことである。ただしそれより少し前の2021年には、西武園ゆうえんちのアトラクション『ゴジラ・ザ・ライド』も手掛けている。
    • 一応、オファー自体は来ていたらしいが、山崎は上記の三丁目の夕日の約2分のシーンを仕上げるだけで半年もの長い時間を要したことで、「ゴジラをVFX技術で描き切るのは並大抵のことではない」と考え、オファーが来ても敢えてそれを受けなかったことを明かしている。山崎自身もノウハウが足りなかったことに加え、当時のコンピューターではまだ性能不足の面があったからだとのこと。
    • 一応、『ゴジラ-1.0』の企画およびプリプロと『ゴジラ・ザ・ライド』の制作はほぼ同時に行われていたとのことで、『ライド』で培われたノウハウが『ゴジラ-1.0』の制作においても大いに活かされたという。山崎がオファーを受諾したのも、映画を制作できるだけの技術の蓄積やコンピューターの性能向上が十分にできたという自信と確信があったからだと思われる。
  • 2016年に『シン・ゴジラ』を鑑賞した際に感想を求められて「次にやる人はハードルが高くなっちゃいますよね」とコメントしたが、その「次」の依頼が自分の元に来たことでコメントが見事なブーメランになってしまい、「やってもうた」となったらしい。もっとも、その山崎自身も次にゴジラ映画を制作する人へのハードルを大いに上げてしまった訳であるが…。

最高のバトン

  • ゴジラ-1.0』の続編構想自体はあるようで、もし製作するとすれば、『-1.0』で登場したキャラクターたちのその後の様子を、新たに登場するキャラクターも交えて描いてみたいと語っている。なお、現代を舞台とすることについては「ゴジラと昭和は切っても切り離せない」「現代を舞台としたゴジラ映画の傑作には既に庵野秀明監督の『シン・ゴジラ』がある」として否定的である。
  • 「『ゴジラ-1.0』公開記念 山崎貴セレクション ゴジラ上映会」において、山崎が上映に厳選した作品は『初代ゴジラ』『三大怪獣地球最大の決戦』『ゴジラ・モスラ・キングギドラ大怪獣総攻撃』『シン・ゴジラ』の4作品。このうち2作品の監督である金子修介・庵野秀明と対談している。また近い時期に業界に入った樋口真嗣とも仲が良く、『平成ガメラ』のころから飲み仲間である。

作品

映画


アトラクション


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映画監督 白組

水島努 - 高校時代の後輩

古沢良太 - 『三丁目の夕日』『寄生獣』で組む


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