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庭園

ていえん

鑑賞および遊興・休息などのために一定の範囲の土地を美しく修景した場所。
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【庭園】の定義

 鑑賞および遊興休息などのために一定の範囲の土地美しく修景した場所。

 と違い、特定の建物に付随するものとは限らない。庭園だけで設計されることも少なく無く、面積もさまざまである。地域および時代により特徴的な様式があり、同じ地域でも時代により様式や特徴が異なる。植物を使って修景されるのがほとんどであり、日本庭園枯山水のようなものは例外と言える。

 庭園には用途があり、それに沿ったデザインがなされ、必要な設備が設えられる。歴史的に見れば、その時代ごとの理想郷や楽園が再現される傾向にあり、現代でもそれの傾向がうかがえる。


植物園との違い

 植物園植物学のための研究展示機関である。植物専門の博物館と言ってもよい。栽培圃場・植物標本庫・図書室・温室など植物の研究に必要な諸設備が備えられている。現在の植物園では絶滅危惧種繁殖保全のための研究、植物学の一般への周知も大切な仕事となっている。


公園との違い

 公園は市民が遊興・休息のために設けられた公開の場所である。したがって、歴史的にも、機能的にも庭園と被るところがある。法律的には「交通や建物など特定の用途によって占有されない空地を空地のまま存続させることを目的に確保した土地」のひとつであって、いろいろな形態がある。

 自然環境の保全のための保護区も自然公園と呼ばれるが、普通の公園と違って開発はもちろん行動にも規制が課せられている。


歴史

庭園文化の始まり

 当然のことであるが、植物を用いることが多いため農耕文明の興ったところで庭園文化は誕生した。

 古代エジプトで造られた庭園は、中央に長方形の池があり、それを囲うように樹木が植えられたものである。参考画像:テーベの18王朝時代(紀元前1570年頃〜紀元前1293年頃)の壁画 では水鳥が飼われ、スイレンパピルスが植えられていた。樹木はイチジクナツメヤシザクロブドウなどの果樹のほか、木陰をつくるアカシアなども植えられており、アネモネケシなどの草花も栽培されていた。神殿の庭園には宗教儀式のために使うハーブ野菜を生産するための農園も付属していた。

 こうした庭園を持てるのは王侯貴族や神殿などの裕福な上流階級であったが、庭園や庭師を意味する単語があるので、そこで働く人は少なく無かったようである。古代エジプト人は庭園を愛した。庭園のミニチュア模型を作って墓に入れる人もいたほどだった。古代エジプトの庭園は理想郷の再現であり、その後の西アジアの庭園様式の源流になったと考えられている。

 西洋の伝世の文献記録に残る最初の庭園は、新バビロニアカルデア)王国の王、ネブガドネザル2世/ナブー・クドゥリ・ウツル2世(Nebuchadnezzar/Nabû−kudurri-uṣur、在位紀元前605年〜紀元前562年)が、緑豊かなメディアから迎えた王妃アミュティス(Amytis)を慰めるために造らせたとものされる。いわゆるバビロンの空中庭園である。この庭園は高くした人工地盤上に築かれ、樹木や草花で彩られたばかりでなく、池や水路も巡らされていたようである。

 空中庭園とされる遺跡は2ヶ所が考定されているが、徹底的に破壊されているためどちらなのか決着はついていない。記録にしてもネブガドネザル2世からずっと後の、紀元前2世紀に古代ギリシアの数学者・フィロンが世界の7不思議に選んだものなので、その記述もどの程度信用できるのか疑わしい。


 中国の庭園は御狩り場のようなものから始まったらしい。これは自然の草原森林を(多くの場合皇帝や帝王専用の)御狩り場としたものであって【苑】の字で表されている。これと同時に盗難や獣害を防ぐために囲いを作って、そこに作物を植えることもおこなわれ、これは【園】の字で表されている。

 西周時代(紀元前1046年頃〜紀元前771年)に原型が編まれたと考えられている詩経(中国最古の詩集)に庭園を詠んだものがあり、池では魚が飼われていたようである。おそらく今日的な意味での庭園が造営されるようになったのはこの頃からのようで、池を掘って、その周囲には自然の林を模して樹木が植えられた。果樹や野菜の他、花木も植えられていた。初期の記録のなかでも殷王朝(紀元前1600年〜1046年)の末に登場する酒池肉林は有名である。

 その後、(紀元前221年〜紀元前207年)の始皇帝(在位紀元前246年〜紀元前221年)は神仙郷に憧れて徐福不老不死を取らせに行った伝説は有名だが、憧れるあまり宮殿に島のある池を作って、そこを蓬萊島に擬した。池を東海と見るために岸には鯨の石像をも造らせたと言う。これは神仙式庭園の原型となり、中国はおろか中国の文化的影響を受けた地域に伝わり、朝鮮半島を経て日本にも伝播した。形態的には現代にも影響を及ぼしている。

 漢王朝(紀元前206年〜紀元220年)の武帝(紀元前156年〜紀元前87年)は庭園を造らせている。この庭園(上林苑)は中国史上最大規模で一周130〜160キロにも及んだ。太液池という池には神仙の住む3つの島を模した島を造らせて神仙式庭園を継承した。それだけでなく2千種余りの植物が栽培されたと言う植物園・南方の植物を集めた一種の温室だったという扶茘宮(ふれいきゅう)・天文台・ドッグレース場・馬の曲芸場・宮廷音楽を聴くための音楽堂などを備えていたとされている。またこの時代には皇帝だけでなく、貴族も庭園を造るようになり庭園文化が広まりを見せた。

 漢王朝崩壊後の魏晋南北朝(220年〜589年、わかりやすくいうと三国志の時代がこの頃)の間、各地に散った士大夫や官僚などは乱世を嫌った。彼らの願望と老荘思想が合致して、山林などの自然風景やのどかな田園への郷愁に向かわせて、各自の住まいや寺院などに池と流れのある、ウメモモなど花木や果樹・キクなどの草花を植えた庭園を造った。書聖と呼ばれる王羲之が蘭亭序を書いたのも混迷の時代に造られたこのような庭園であり、やがて自然美を尊ぶ林泉式庭園(文人庭園)へと発展してゆく。

 

その後の継承と発展

 帝政ローマ(ローマ帝国)では西アジアの影響を受けつつも独自の庭園文化が発展した。紀元前60年頃に造営されたルクルスの庭(これはペルシャ風の庭園だったと伝えられている)を皮切りに、皇帝や富豪はローマ郊外にヴィラと呼ばれる別荘を建てて庭園も造った。

 池が掘られ、その周辺に月桂樹オリーブバライトスギなどの花木や果樹が植えられ、楽園をイメージしたのはエジプトメソポタミアの庭園と同じだが、イタリア半島は広大な平地を欠くため丘を数段のテラス状に造成して平地を造り、庭園を造った。多くは左右対称だが非対称になる例もある。この時代の庭園の代表としてはハドリアヌスのヴィラが有名なものである。この帝政ローマ時代のヴィラは、ずっと後のルネサンスにおいて庭園デザインの参考とされヨーロッパの庭園デザインに大きな影響を及ぼした。

 ヴィラを持てるほどでもない、やや裕福なローマ市民は自宅の中庭を美しく整えた。中庭は左右対称のデザインで、柱廊に囲まれており、応接間や食堂に面していた。低い生垣や花木、草花やハーブ・野菜が栽培され、可能であれば池や噴水などが配された。庭の最も美しい時期に宴を張って、一番眺めの良い位置に席を占めるのは名誉なことだった。ポンペイでは当時の庭園がそのまま発掘されており、いくつかは復元されている。

 ローマが崩壊した後のヨーロッパ中世には、他の文化・技術同様、庭園文化も著しい退行を余儀なくされたのだが、それでも修道院や各地の有力な領主、ある程度安定し繁栄していた西アジアにその文化は受け継がれた。西アジアに伝播した庭園文化は【ペルシャ式庭園】として発展し、イスラム帝国とその後継の帝国・王国によって中近東はもとよりインドなどの南アジア及び北アフリカ、イベリア半島の各地に造られていった。これもまたヨーロッパの庭園に影響を与えたのである。

 その後の各庭園様式については下記の各項目を参照。


 中国では(581年〜618年)・(618年〜690年,705年〜907年)王朝に庭園文化が最初の絶頂を迎えた。皇帝達は基本的に神仙式庭園の流れを汲んだ広大な庭園を造営したが、過去のそれとは違いこの世の理想郷をイメージしたものに俗化していた。

 隋王朝2代皇帝の煬帝(在位:604年8月21日〜618年4月11日)は西苑という中国史上2番目に大きい庭園を造営して、その中に神仙式庭園を造ったが、龍鱗渠(りゅうりんきょ)という水路も合わせて造り16の庭園をその水路沿いに造った。そこには豪華な建物を建てて草木を植えて小庭園として十六院と呼び、各院には妃を1人と美女20人を住まわせていた。これ以外にもいくつもの池が設けられ、それらは水路で繋がれていて船で行き来できるようになっていたという。唐ではそこまで広大ではなかったが、長安城を上回る面積の土地に24の建物群が建てらた庭園が造営された。皇帝がボートレースを楽しめる池や、馬に乗ってポロに似た競技をする球技場・馬の曲芸場・氷室・果樹園・景色を楽しみ詩を詠むための亭(あずまや)などがあった。

 唐王朝下での個人が造った庭園には2タイプある。ひとつが世襲の貴族官僚が造った豪華絢爛な庭園で、これは当時珍重された江南地方の奇岩や珍しい樹木を用いて敷地内にはいくつもの豪華な建物を建てた。もうひとつが科挙出身の文人官僚が築いた文人庭園で、自然風景を重んじ建物はあっても風景と調和するように素朴なものが多かった。その後、中国の庭園は権力と資金にものを言わせた豪華絢爛な庭園と、自然美を重んじる文人庭園の2つが複雑に絡み合いながら発展し、日本も含む周辺の地域へと波及していった。

 その後の各庭園様式については下記の各項目を参照。


庭園の様式

 各地域・各時代に発達した庭園様式について簡単に述べる。それを代表する主な庭園の名も挙げておく。


東洋の庭園

日本庭園(露地、回遊式庭園など)

 非対称形で自然を模した様式。中国の庭園様式の強い影響を受けているが、独自の発展を遂げている。特に枯山水、茶道の屋外空間としての露地は独特のものである。建物はあっても少なく、周囲に調和するように地味で装飾性は少ない。時代によりかなり差が大きい。和風庭園ともいう。

 基本的に日本にあるが、ジャポニズムがおこると欧米でも造られるようになった。


 代表例:飛鳥浄御原宮庭園遺跡、平等院庭園、西芳寺庭園、大仙院書院庭園、待庵露地、後楽園、兼六園、龍安寺方丈石庭、偕楽園、無鄰菴、平安神宮神苑、東福寺方丈、足立美術館庭園など


中国式庭園(中国古典庭園など)

 非対称形で自然を模した様式。自然石を用いた山や池・流れを造る。豪華で広大な皇帝の庭園と質素で自然美を基本とする文人庭園の2つに大別されるが、時代が下るに従って両者の要素が混在するようになる。建物は当初は少なかったが、時代が下るにつれ多く、豪華なものになってゆく。

 文化的・歴史的に中国の影響が強い地域でも見られ、ベトナム・台湾・沖縄・朝鮮半島にも古い作例がある。古い日本庭園にも部分的に中国古典庭園の要素を組み込んだ例(小石川後楽園など)がある。


 代表例:滄浪亭、網師園、獅子林、拙政園、芸圃、个園、留園、何園、寄暢園、環秀山荘、退思園、耦園、豫園、避暑山荘、紫禁城庭園、頤和園など


ペルシャ式庭園(イスラーム式庭園)

 西アジアおよび中近東を中心に発展した様式。壁で囲まれ左右対称。その時代・民族・宗教で想定される楽園をイメージしている。イスラーム化した後はエデンの園を基本イメージとする、敷地を田の字形に4分割する水路と交点に置かれる池で特徴づけられる(四分庭園)。既存の研究も充分でなく、日本ではあまり知られていない。

 文化的・歴史的に西アジアの影響が強い地中海世界、イスラム帝国やその後継の帝国・王国が興るとその版図となったインド・北アフリカ・イベリア半島に伝播した。


 代表例:パサルガダエ庭園、エラム庭園、チェヘル・ソトゥーン庭園、フィン庭園、アッバース・アーバード庭園、シャーザデー庭園、ドーラト・アーバード庭園、パフラヴァンプール庭園、アクバリーエ庭園(以上イラン)、バーブルの庭園(アフガニスタン)、タージ・マハル(インド)、シャーラマール庭園(パキスタン)、アルハンブラ宮殿庭園(スペイン)など


西洋の庭園

西洋整形式庭園(イタリア式庭園、平面幾何学式庭園など)

 15世紀後半以降に成立。基本的に左右対称で、幾何学的な構成をしたものが多い。王侯などの権力者・大富豪などがその権威と財力を背景に造らせたものがほとんどであり、中心には宮殿や城館がある。樹木の列植・トピアリー・花壇・彫像や噴水などで飾られる。

 フランス式庭園とも呼ばれる平面幾何学式庭園は17世紀末にヴェルサイユ庭園を設計したル・ノートルに始まり、絶対王政時代のヨーロッパを席巻した。


 代表例:エステ荘庭園、ランテ荘庭園、ボボリ園、カステロ荘庭園(以上イタリア式、イタリア)、ヴォー・ル・ヴィコントの館と庭園(フランス)、ヴェルサイユ庭園(フランス)、シェーンブルン宮殿庭園(ドイツ)、ニュンフェンブルグ宮殿庭園(ドイツ、現在は風景式に改造)など


風景式庭園(イギリス式庭園、コテージ・ガーデンなど)

 18世紀以降の成立で左右非対称。西洋の庭園は必ず左右対称と思い込んでいる人が日本では少なく無いが、風景を模しているために左右非対称である。ただし、その元になった風景とは現実の自然風景ではなく、風景画として描かれた理想化された風景であった。これはイギリス国内だけでなくヨーロッパで流行し、平面幾何学式庭園を風景式に全面改装したところも多かった。イギリス式庭園は英国の植民地だった地域でも造営された。

 日本で一般的にイングリッシュ・ガーデンと呼ばれている宿根草や樹木の植栽を中心にしたものは、正しくは【コテージ・ガーデン】と呼ばれるものである。19世紀後半から20世紀初頭に成立した。これは英国の田舎の農家の庭先や野原のような自然や自然に近い場所の、さりげなく美しい風景を模したものである。これはこの時代のイギリスの資産家達の間でありがちだった世界各地の(主に熱帯産の)珍しい植物をやたらと収集し、それをこれ見よがしにする風潮への反感から始まった。


 代表例:ストーヘッド庭園(イギリス)、スタッドレー・ロイヤル庭園(イギリス)、ブレナム宮殿庭園(イギリス)、ムスカウアー公園(ドイツ)、エングリッシャーガルテン(ドイツ)、小トリアノン宮殿庭園(フランス、マリー・アントワネットの庭)、魯迅公園(中国、あまり原形をとどめていない)、アップトングレーマナーハウス(イギリス)、ヘスターカムガーデン(イギリス)など


現代の庭園

 現代において特徴的な庭園の様式と言うものは特に無い。伝統的な庭園も造られ続けているし、それらとはまったく違った庭園も造られている。


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建築

 公園 農園 借景 園芸

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