ピクシブ百科事典は2023年6月13日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

MR430

1

えむあーるよんさんまる

1960年代に三菱が製造した3軸大型路線バス。同様の一般路線バスで3軸車は国内唯一とされる。
1960年代に三菱が製造した3軸大型路線バス。同様の一般路線バスで3軸車は国内唯一とされる。

概要

概要

1963年に三菱日本重工業(当時、後に戦後の財閥解体で分割された3社の再統合で三菱重工業となり、更に自動車部門が独立して三菱自動車、更に大型商用車部門の分離により現在は三菱ふそうトラック・バス)が製造した。

全長約12m(11,985mm)の大型車であり、現行のエアロスターの最大長11.45mを上回る。この長尺ボディを実現するため、前輪を二軸とした三軸駆動の車両として誕生した。

三軸駆動バスは後に観光・高速バスで実現し、三菱でも二階建て高速バスエアロキングなどで登場したが、多くの車両は後輪二軸であり、その点でも異例の車両である。


形式のMRは、フレーム付ボディのR系列に続くフレームレスモノコックボディのシリーズにつけられたもの。400番台は直列6気筒のエンジンを縦置きしたものであり、このMR400代で車体長が最長の車両がMR430であった。


しかし、当時の道路事情ではこのような大型長尺車を活用出来る場所は限られ、殆ど売れることが無くまもなく販売終了となる。購入した事業者は国鉄バス名古屋鉄道、そして旭川バスの僅か3社、総販売台数はたった14台であった。旭川バスは同車の導入から5年と経たない1968年に旭川電気軌道に合併され、以後は同車がMR430を継承している。

国鉄や大都市名古屋を拠点とする名鉄はともかく、何故旭川なのか疑問を持たれるかもしれないが、当時既に旭川市街は道路が整備されており、広めの道路で大型長尺車の運行に大きな支障が出なかったのも導入の理由となったとされる。


同車にいわゆる三菱自動車工業製は無く(そもそも当時は重工の一部門であり独立すらしていなかった)、国鉄の6台と名鉄の5台の車両は富士重工業が車体を製作しているが、旭川に納入された3台のみ呉羽自動車工業製である。

富士重製は普通のバス窓なのに対し、呉羽製のものは斜めにカットされた平行四辺形状の窓になっており、速さを感じさせるデザインである。これは当時の他のMR400代に共通のデザインであった。

呉羽自工は後に三菱自工の資本が投入され新呉羽自動車工業となり、エアロスターなど平成代に至るまでの三菱の大型路線バスなどを製造しており、現在では三菱ふそう傘下のバス製造会社として三菱ふそうバス製造に至っている。旭川の車はいわば、今現在製造される三菱車の希少な直系のご先祖様とも言える。


活躍と引退

活躍と引退

国鉄・名鉄とも遅くとも1970年代半ばには引退。旭川でもラッシュ時の活躍以外はあまり稼働が無かったことから1978年まで活躍を続けていたそうだが(当時のバスは10年持たず置き換えるのが基本であったためかなりの長命である)、同年を以て定期運用から引退。晩年はマイカーを持たない運転手向けの自宅送迎用バスとして使用されていたという。


名鉄のMR430は1970年代末に廃車体が撮影されているが、その後は全車解体されたとされる。写真も廃車後の同車を撮影した数枚しか世に出回っていない。

国鉄車はもう少し長く廃車体が生き残り、驚くべきことに平成改元前後まで京都府は福知山近郊で廃車体が現存していたとされ、写真も幾つか残っている。なお後にふそうが(この車体かどうかは不明だが)1台を引き取り、自走可能な状態まで持って行ったものが現存しているとされるが、詳報は不明。


旭川の車両は最後まで残った車両も廃車となり、1980年代以降は同市近郊の農家に引き取られたとされる。その悟は山中で野晒しにされ永らく過ごしていたとされるが…。


再発見

再発見

旭川の同車が山中で眠っているという話は、知る人ぞ知るというレベルだったと言われるが、この話を2001年頃に聞き及んださるバスマニアの人が近郊の山中を探し回った結果、2006年についにこの最後の生き残りの1台を発見するに至った。既に廃車され各所が朽ちてはいたものの、原型を留めたままの発見は奇跡的とも言えるものであった。

なおこの経緯は発見した当の本人がSNSなどで話されている。実はこの時点で先述の農家が未だ保有している状態であったそうだが、翌2007年にサルベージされて買い取られ、幻と言われた車両が再びその姿を現した…のはもうちょっと先の話。

実際にはその後更にこの車両のファン同士で所有権の再移転などがあり、2011年前後には所有者により旭川市内の工場に引き取られ、そこで暫く保管された。この頃には他のバスマニアも噂を聞いて一目見ようと出向く機会が増加している。


奇跡の復活へ

奇跡の復活へ

このまま廃車体として保管されるかに見えたMR430であったが、元の所有者である旭川電気軌道では同車のレストアによる復活を計画。幸いにもエンジン機器・動力が当時のものをそのまま再始動出来る状態で現存していたため、復活にこぎつける事が出来た。

車体外板など客室部は大部分を新製交換するなど大規模な修復作業となり、道東の別の三菱製バスの廃車体から不足部品を補うなどもしている。車検を通すため、腐食が酷く発見は到底不可能と思われたフレームナンバーの打刻を執念で見つけ出すなど、同社の復活に見えた本気度が垣間見えるものとなった。


2022年9月27日、旭川運輸支局に同車の車検を通し、ここに引退から44年、再発見から約15年の時を経てまさかまさかの現役車両として復活を果たしたのであった。


なお、エンジンの予備部品が見つからないなどの理由から、エンジンの解体整備は断念しており、過度な走行でせっかくの動態保存が早期に終了することを防ぐため、定期運行などは持たず、普段は車庫内での見学のみ行うことが出来る状態である。しかし稀にイベント時に走行することもあり、数は少ないながらも僅かに乗車チャンスもある。

2023年5月には、なんと津軽海峡を(フェリーで)渡って大阪まで自走して現地でのイベントに参加しており、イベントのみならず途中の様々な場所で立ち寄り記念撮影などを行っていた。かつて国鉄バスの同型が活躍した京都府北部近辺にも立ち寄っている。帰り道にトラブルが発生して以降長距離フェリーの世話にはなったものの、御年60歳の復活車両が1500kmもの大移動をほぼ自走で果たしたこととなった。


関連タグ

関連タグ

三菱ふそう 三菱ふそう・エアロスター バス

旭川電気軌道 レストア

概要

概要

1963年に三菱日本重工業(当時、後に戦後の財閥解体で分割された3社の再統合で三菱重工業となり、更に自動車部門が独立して三菱自動車、更に大型商用車部門の分離により現在は三菱ふそうトラック・バス)が製造した。

全長約12m(11,985mm)の大型車であり、現行のエアロスターの最大長11.45mを上回る。この長尺ボディを実現するため、前輪を二軸とした三軸駆動の車両として誕生した。

三軸駆動バスは後に観光・高速バスで実現し、三菱でも二階建て高速バスエアロキングなどで登場したが、多くの車両は後輪二軸であり、その点でも異例の車両である。


形式のMRは、フレーム付ボディのR系列に続くフレームレスモノコックボディのシリーズにつけられたもの。400番台は直列6気筒のエンジンを縦置きしたものであり、このMR400代で車体長が最長の車両がMR430であった。


しかし、当時の道路事情ではこのような大型長尺車を活用出来る場所は限られ、殆ど売れることが無くまもなく販売終了となる。購入した事業者は国鉄バス名古屋鉄道、そして旭川バスの僅か3社、総販売台数はたった14台であった。旭川バスは同車の導入から5年と経たない1968年に旭川電気軌道に合併され、以後は同車がMR430を継承している。

国鉄や大都市名古屋を拠点とする名鉄はともかく、何故旭川なのか疑問を持たれるかもしれないが、当時既に旭川市街は道路が整備されており、広めの道路で大型長尺車の運行に大きな支障が出なかったのも導入の理由となったとされる。


同車にいわゆる三菱自動車工業製は無く(そもそも当時は重工の一部門であり独立すらしていなかった)、国鉄の6台と名鉄の5台の車両は富士重工業が車体を製作しているが、旭川に納入された3台のみ呉羽自動車工業製である。

富士重製は普通のバス窓なのに対し、呉羽製のものは斜めにカットされた平行四辺形状の窓になっており、速さを感じさせるデザインである。これは当時の他のMR400代に共通のデザインであった。

呉羽自工は後に三菱自工の資本が投入され新呉羽自動車工業となり、エアロスターなど平成代に至るまでの三菱の大型路線バスなどを製造しており、現在では三菱ふそう傘下のバス製造会社として三菱ふそうバス製造に至っている。旭川の車はいわば、今現在製造される三菱車の希少な直系のご先祖様とも言える。


活躍と引退

活躍と引退

国鉄・名鉄とも遅くとも1970年代半ばには引退。旭川でもラッシュ時の活躍以外はあまり稼働が無かったことから1978年まで活躍を続けていたそうだが(当時のバスは10年持たず置き換えるのが基本であったためかなりの長命である)、同年を以て定期運用から引退。晩年はマイカーを持たない運転手向けの自宅送迎用バスとして使用されていたという。


名鉄のMR430は1970年代末に廃車体が撮影されているが、その後は全車解体されたとされる。写真も廃車後の同車を撮影した数枚しか世に出回っていない。

国鉄車はもう少し長く廃車体が生き残り、驚くべきことに平成改元前後まで京都府は福知山近郊で廃車体が現存していたとされ、写真も幾つか残っている。なお後にふそうが(この車体かどうかは不明だが)1台を引き取り、自走可能な状態まで持って行ったものが現存しているとされるが、詳報は不明。


旭川の車両は最後まで残った車両も廃車となり、1980年代以降は同市近郊の農家に引き取られたとされる。その悟は山中で野晒しにされ永らく過ごしていたとされるが…。


再発見

再発見

旭川の同車が山中で眠っているという話は、知る人ぞ知るというレベルだったと言われるが、この話を2001年頃に聞き及んださるバスマニアの人が近郊の山中を探し回った結果、2006年についにこの最後の生き残りの1台を発見するに至った。既に廃車され各所が朽ちてはいたものの、原型を留めたままの発見は奇跡的とも言えるものであった。

なおこの経緯は発見した当の本人がSNSなどで話されている。実はこの時点で先述の農家が未だ保有している状態であったそうだが、翌2007年にサルベージされて買い取られ、幻と言われた車両が再びその姿を現した…のはもうちょっと先の話。

実際にはその後更にこの車両のファン同士で所有権の再移転などがあり、2011年前後には所有者により旭川市内の工場に引き取られ、そこで暫く保管された。この頃には他のバスマニアも噂を聞いて一目見ようと出向く機会が増加している。


奇跡の復活へ

奇跡の復活へ

このまま廃車体として保管されるかに見えたMR430であったが、元の所有者である旭川電気軌道では同車のレストアによる復活を計画。幸いにもエンジン機器・動力が当時のものをそのまま再始動出来る状態で現存していたため、復活にこぎつける事が出来た。

車体外板など客室部は大部分を新製交換するなど大規模な修復作業となり、道東の別の三菱製バスの廃車体から不足部品を補うなどもしている。車検を通すため、腐食が酷く発見は到底不可能と思われたフレームナンバーの打刻を執念で見つけ出すなど、同社の復活に見えた本気度が垣間見えるものとなった。


2022年9月27日、旭川運輸支局に同車の車検を通し、ここに引退から44年、再発見から約15年の時を経てまさかまさかの現役車両として復活を果たしたのであった。


なお、エンジンの予備部品が見つからないなどの理由から、エンジンの解体整備は断念しており、過度な走行でせっかくの動態保存が早期に終了することを防ぐため、定期運行などは持たず、普段は車庫内での見学のみ行うことが出来る状態である。しかし稀にイベント時に走行することもあり、数は少ないながらも僅かに乗車チャンスもある。

2023年5月には、なんと津軽海峡を(フェリーで)渡って大阪まで自走して現地でのイベントに参加しており、イベントのみならず途中の様々な場所で立ち寄り記念撮影などを行っていた。かつて国鉄バスの同型が活躍した京都府北部近辺にも立ち寄っている。帰り道にトラブルが発生して以降長距離フェリーの世話にはなったものの、御年60歳の復活車両が1500kmもの大移動をほぼ自走で果たしたこととなった。


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1960年代に三菱が製造した3軸大型路線バス。同様の一般路線バスで3軸車は国内唯一とされる。

概要

概要

1963年に三菱日本重工業(当時、後に戦後の財閥解体で分割された3社の再統合で三菱重工業となり、更に自動車部門が独立して三菱自動車、更に大型商用車部門の分離により現在は三菱ふそうトラック・バス)が製造した。

全長約12m(11,985mm)の大型車であり、現行のエアロスターの最大長11.45mを上回る。この長尺ボディを実現するため、前輪を二軸とした三軸駆動の車両として誕生した。

三軸駆動バスは後に観光・高速バスで実現し、三菱でも二階建て高速バスエアロキングなどで登場したが、多くの車両は後輪二軸であり、その点でも異例の車両である。


形式のMRは、フレーム付ボディのR系列に続くフレームレスモノコックボディのシリーズにつけられたもの。400番台は直列6気筒のエンジンを縦置きしたものであり、このMR400代で車体長が最長の車両がMR430であった。


しかし、当時の道路事情ではこのような大型長尺車を活用出来る場所は限られ、殆ど売れることが無くまもなく販売終了となる。購入した事業者は国鉄バス名古屋鉄道、そして旭川バスの僅か3社、総販売台数はたった14台であった。旭川バスは同車の導入から5年と経たない1968年に旭川電気軌道に合併され、以後は同車がMR430を継承している。

国鉄や大都市名古屋を拠点とする名鉄はともかく、何故旭川なのか疑問を持たれるかもしれないが、当時既に旭川市街は道路が整備されており、広めの道路で大型長尺車の運行に大きな支障が出なかったのも導入の理由となったとされる。


同車にいわゆる三菱自動車工業製は無く(そもそも当時は重工の一部門であり独立すらしていなかった)、国鉄の6台と名鉄の5台の車両は富士重工業が車体を製作しているが、旭川に納入された3台のみ呉羽自動車工業製である。

富士重製は普通のバス窓なのに対し、呉羽製のものは斜めにカットされた平行四辺形状の窓になっており、速さを感じさせるデザインである。これは当時の他のMR400代に共通のデザインであった。

呉羽自工は後に三菱自工の資本が投入され新呉羽自動車工業となり、エアロスターなど平成代に至るまでの三菱の大型路線バスなどを製造しており、現在では三菱ふそう傘下のバス製造会社として三菱ふそうバス製造に至っている。旭川の車はいわば、今現在製造される三菱車の希少な直系のご先祖様とも言える。


活躍と引退

活躍と引退

国鉄・名鉄とも遅くとも1970年代半ばには引退。旭川でもラッシュ時の活躍以外はあまり稼働が無かったことから1978年まで活躍を続けていたそうだが(当時のバスは10年持たず置き換えるのが基本であったためかなりの長命である)、同年を以て定期運用から引退。晩年はマイカーを持たない運転手向けの自宅送迎用バスとして使用されていたという。


名鉄のMR430は1970年代末に廃車体が撮影されているが、その後は全車解体されたとされる。写真も廃車後の同車を撮影した数枚しか世に出回っていない。

国鉄車はもう少し長く廃車体が生き残り、驚くべきことに平成改元前後まで京都府は福知山近郊で廃車体が現存していたとされ、写真も幾つか残っている。なお後にふそうが(この車体かどうかは不明だが)1台を引き取り、自走可能な状態まで持って行ったものが現存しているとされるが、詳報は不明。


旭川の車両は最後まで残った車両も廃車となり、1980年代以降は同市近郊の農家に引き取られたとされる。その悟は山中で野晒しにされ永らく過ごしていたとされるが…。


再発見

再発見

旭川の同車が山中で眠っているという話は、知る人ぞ知るというレベルだったと言われるが、この話を2001年頃に聞き及んださるバスマニアの人が近郊の山中を探し回った結果、2006年についにこの最後の生き残りの1台を発見するに至った。既に廃車され各所が朽ちてはいたものの、原型を留めたままの発見は奇跡的とも言えるものであった。

なおこの経緯は発見した当の本人がSNSなどで話されている。実はこの時点で先述の農家が未だ保有している状態であったそうだが、翌2007年にサルベージされて買い取られ、幻と言われた車両が再びその姿を現した…のはもうちょっと先の話。

実際にはその後更にこの車両のファン同士で所有権の再移転などがあり、2011年前後には所有者により旭川市内の工場に引き取られ、そこで暫く保管された。この頃には他のバスマニアも噂を聞いて一目見ようと出向く機会が増加している。


奇跡の復活へ

奇跡の復活へ

このまま廃車体として保管されるかに見えたMR430であったが、元の所有者である旭川電気軌道では同車のレストアによる復活を計画。幸いにもエンジン機器・動力が当時のものをそのまま再始動出来る状態で現存していたため、復活にこぎつける事が出来た。

車体外板など客室部は大部分を新製交換するなど大規模な修復作業となり、道東の別の三菱製バスの廃車体から不足部品を補うなどもしている。車検を通すため、腐食が酷く発見は到底不可能と思われたフレームナンバーの打刻を執念で見つけ出すなど、同社の復活に見えた本気度が垣間見えるものとなった。


2022年9月27日、旭川運輸支局に同車の車検を通し、ここに引退から44年、再発見から約15年の時を経てまさかまさかの現役車両として復活を果たしたのであった。


なお、エンジンの予備部品が見つからないなどの理由から、エンジンの解体整備は断念しており、過度な走行でせっかくの動態保存が早期に終了することを防ぐため、定期運行などは持たず、普段は車庫内での見学のみ行うことが出来る状態である。しかし稀にイベント時に走行することもあり、数は少ないながらも僅かに乗車チャンスもある。

2023年5月には、なんと津軽海峡を(フェリーで)渡って大阪まで自走して現地でのイベントに参加しており、イベントのみならず途中の様々な場所で立ち寄り記念撮影などを行っていた。かつて国鉄バスの同型が活躍した京都府北部近辺にも立ち寄っている。帰り道にトラブルが発生して以降長距離フェリーの世話にはなったものの、御年60歳の復活車両が1500kmもの大移動をほぼ自走で果たしたこととなった。


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三菱ふそう 三菱ふそう・エアロスター バス

旭川電気軌道 レストア

概要

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1963年に三菱日本重工業(当時、後に戦後の財閥解体で分割された3社の再統合で三菱重工業となり、更に自動車部門が独立して三菱自動車、更に大型商用車部門の分離により現在は三菱ふそうトラック・バス)が製造した。

全長約12m(11,985mm)の大型車であり、現行のエアロスターの最大長11.45mを上回る。この長尺ボディを実現するため、前輪を二軸とした三軸駆動の車両として誕生した。

三軸駆動バスは後に観光・高速バスで実現し、三菱でも二階建て高速バスエアロキングなどで登場したが、多くの車両は後輪二軸であり、その点でも異例の車両である。


形式のMRは、フレーム付ボディのR系列に続くフレームレスモノコックボディのシリーズにつけられたもの。400番台は直列6気筒のエンジンを縦置きしたものであり、このMR400代で車体長が最長の車両がMR430であった。


しかし、当時の道路事情ではこのような大型長尺車を活用出来る場所は限られ、殆ど売れることが無くまもなく販売終了となる。購入した事業者は国鉄バス名古屋鉄道、そして旭川バスの僅か3社、総販売台数はたった14台であった。旭川バスは同車の導入から5年と経たない1968年に旭川電気軌道に合併され、以後は同車がMR430を継承している。

国鉄や大都市名古屋を拠点とする名鉄はともかく、何故旭川なのか疑問を持たれるかもしれないが、当時既に旭川市街は道路が整備されており、広めの道路で大型長尺車の運行に大きな支障が出なかったのも導入の理由となったとされる。


同車にいわゆる三菱自動車工業製は無く(そもそも当時は重工の一部門であり独立すらしていなかった)、国鉄の6台と名鉄の5台の車両は富士重工業が車体を製作しているが、旭川に納入された3台のみ呉羽自動車工業製である。

富士重製は普通のバス窓なのに対し、呉羽製のものは斜めにカットされた平行四辺形状の窓になっており、速さを感じさせるデザインである。これは当時の他のMR400代に共通のデザインであった。

呉羽自工は後に三菱自工の資本が投入され新呉羽自動車工業となり、エアロスターなど平成代に至るまでの三菱の大型路線バスなどを製造しており、現在では三菱ふそう傘下のバス製造会社として三菱ふそうバス製造に至っている。旭川の車はいわば、今現在製造される三菱車の希少な直系のご先祖様とも言える。


活躍と引退

活躍と引退

国鉄・名鉄とも遅くとも1970年代半ばには引退。旭川でもラッシュ時の活躍以外はあまり稼働が無かったことから1978年まで活躍を続けていたそうだが(当時のバスは10年持たず置き換えるのが基本であったためかなりの長命である)、同年を以て定期運用から引退。晩年はマイカーを持たない運転手向けの自宅送迎用バスとして使用されていたという。


名鉄のMR430は1970年代末に廃車体が撮影されているが、その後は全車解体されたとされる。写真も廃車後の同車を撮影した数枚しか世に出回っていない。

国鉄車はもう少し長く廃車体が生き残り、驚くべきことに平成改元前後まで京都府は福知山近郊で廃車体が現存していたとされ、写真も幾つか残っている。なお後にふそうが(この車体かどうかは不明だが)1台を引き取り、自走可能な状態まで持って行ったものが現存しているとされるが、詳報は不明。


旭川の車両は最後まで残った車両も廃車となり、1980年代以降は同市近郊の農家に引き取られたとされる。その悟は山中で野晒しにされ永らく過ごしていたとされるが…。


再発見

再発見

旭川の同車が山中で眠っているという話は、知る人ぞ知るというレベルだったと言われるが、この話を2001年頃に聞き及んださるバスマニアの人が近郊の山中を探し回った結果、2006年についにこの最後の生き残りの1台を発見するに至った。既に廃車され各所が朽ちてはいたものの、原型を留めたままの発見は奇跡的とも言えるものであった。

なおこの経緯は発見した当の本人がSNSなどで話されている。実はこの時点で先述の農家が未だ保有している状態であったそうだが、翌2007年にサルベージされて買い取られ、幻と言われた車両が再びその姿を現した…のはもうちょっと先の話。

実際にはその後更にこの車両のファン同士で所有権の再移転などがあり、2011年前後には所有者により旭川市内の工場に引き取られ、そこで暫く保管された。この頃には他のバスマニアも噂を聞いて一目見ようと出向く機会が増加している。


奇跡の復活へ

奇跡の復活へ

このまま廃車体として保管されるかに見えたMR430であったが、元の所有者である旭川電気軌道では同車のレストアによる復活を計画。幸いにもエンジン機器・動力が当時のものをそのまま再始動出来る状態で現存していたため、復活にこぎつける事が出来た。

車体外板など客室部は大部分を新製交換するなど大規模な修復作業となり、道東の別の三菱製バスの廃車体から不足部品を補うなどもしている。車検を通すため、腐食が酷く発見は到底不可能と思われたフレームナンバーの打刻を執念で見つけ出すなど、同社の復活に見えた本気度が垣間見えるものとなった。


2022年9月27日、旭川運輸支局に同車の車検を通し、ここに引退から44年、再発見から約15年の時を経てまさかまさかの現役車両として復活を果たしたのであった。


なお、エンジンの予備部品が見つからないなどの理由から、エンジンの解体整備は断念しており、過度な走行でせっかくの動態保存が早期に終了することを防ぐため、定期運行などは持たず、普段は車庫内での見学のみ行うことが出来る状態である。しかし稀にイベント時に走行することもあり、数は少ないながらも僅かに乗車チャンスもある。

2023年5月には、なんと津軽海峡を(フェリーで)渡って大阪まで自走して現地でのイベントに参加しており、イベントのみならず途中の様々な場所で立ち寄り記念撮影などを行っていた。かつて国鉄バスの同型が活躍した京都府北部近辺にも立ち寄っている。帰り道にトラブルが発生して以降長距離フェリーの世話にはなったものの、御年60歳の復活車両が1500kmもの大移動をほぼ自走で果たしたこととなった。


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