Wikipedia:「StG44_(突撃銃)」を参照。
概要
最初に実用化されたアサルトライフルはロシア帝国のフェドロフM1916だが、今日において各国の歩兵の主力兵器となっている、近代的アサルトライフルの基礎となったのは、第二次世界大戦時にドイツのハーネル社が開発した、「StG44」である。
歴史
第二次世界大戦以前から、ドイツ陸軍兵器局では歩兵用自動小銃の開発が行われていたが、連合軍側がソ連軍のSVTや、アメリカ軍のM1ガーランドといった半自動小銃を大量配備し、小銃の自動化に成功すると、前線の兵士達から同様な主力級の自動小銃を求める声が高まり、G43やFG42の配備を行った。しかし、これらはフルサイズのライフル弾(7.92×57Mauser弾)を使用したため反動が強かった。
反動が小さく携帯が容易な短小弾薬の開発と、それを使用する新しい小火器MKb(機関騎兵銃)の開発がワルサー社とハーネル社で進められ、ハーネル社設計の42(H)が採用された。
1942年、MKb42は7.92×57Mauser弾を小型化した7.92×33Kurz弾とともに、東部戦線とイタリア戦線に試験的に配備された。結果は良好で、さらに改良を加えたモデルが配備されることになった。
しかしヒトラー総統がこれに待ったをかけた。当時のドイツ軍は主力小銃Kar98kを中心に、7.92×57Mauser弾を装備しており、同口径の7.92mmKurz弾を前線で混同してしまう恐れ、新たな兵器への更新による訓練課程の見直しや、工場の配分、生産工程、材料などの問題点を指摘した。
しかし国防軍の上層部や開発陣は密かに短機関銃(MP)扱いのMP43として配備を始めた。
MP43の性能は敵味方共に大きなインパクトを与えたが、擬装がヒトラーにばれて一時生産中止に追い込まれた。しかし現場からのMP43を求める声が強く、開発計画の継続が認められた。
1943年冬の本格的な実戦運用で実用性が実証され、ヒトラーも量産を認めた。
StG44として
1944年、改良を加えたMP44となるが、新たなカテゴリーの銃である事を宣伝すべく、ヒトラー自らが「シュトゥルムゲベーア(突撃銃)44」に改名させたとも言われる。
ドイツの敗戦までにStG44の一族は、ハーネル社、マウザー社など9社で425,977挺の製造に止まり、ほとんどKar98kを更新できず、戦局を覆すほどの成果はなかった。
戦後もAK-47が普及するまでの間、東欧、中東などで使用された。
コンセプト
歩兵小銃としての基本スペックに短機関銃並の軽便さと撃ちやすさを融合させるというコンセプトから開発が行われた。
StG44の優れた点として、
- セミオート、フルオートの切替ができること。セミオートで遠距離への射撃や攻撃時の移動しながらの牽制射撃を行い、フルオートで接近戦、塹壕への突入、移動時の援護射撃、市街地の遭遇戦と、状況や戦術に応じて使い分けることができ、柔軟な運用が可能となった。
- 小口径・軽装薬の7.92×33Kurz弾採用により、小銃弾より反動が少なく、拳銃弾より威力があり、兵士の携行弾薬数も増加。
- ピストルグリップつきのレシーバーの採用で短機関銃のような操作性を持ち合わせていた。
などの点が挙げられる。
戦後のアサルトライフルの礎として
StG44のコンセプトは戦後のアサルトライフル、AK47、FN CAMP、H&K_G3等の開発に開発へ大きな影響を与えた。しかし、西側諸国の多くは既存の武器を使用し続け、更には7.62x51mm NATO弾の採用により、アサルトライフルが主流となるのが遅れた。
【ソ連】
大戦中からStG44に注目していたミハイル・カラシニコフはアメリカのM1カービンの閉鎖・撃発機構を元にアサルトライフルAK47を開発した。
【ベルギー】
FN社(現・FNH社)の銃器設計技師、デュードネ・サイーブ(デュードンヌ・セヴ)が弱装弾薬を使用するアサルトライフルFN CAMPを試作。しかし、アメリカが自国の7.62x51mm弾をNATO標準弾とするよう要求したため、それに合わせてFALとなる。
【スペイン】
戦後、スペインのCETME(セトメ)へ就職したルートビッヒ・フォルグリムラーが、マウザー社時代に開発していたStG45(M)(秘匿名称ゲレート06)を元に、セトメモデロシリーズを開発。
【ドイツ】
西ドイツ政府がスペインのセトメモデロA2の開発・製造権を買い上げ、H&K社とCETMEが共同開発したセトメモデロBに更に改良を加えたHK31が1959年に西ドイツ軍に採用され、G3となった。
【スイス】
SIG社は、NATO弾より強力なスイス独自の弾薬7.5mm GP11(7.5×55mm)を使用する自動小銃Stgw57を経て、AK-47の動作機構を元にアサルトライフルSG550を開発した。
【アメリカ】
1956年、フェアチャイルド社アーマライト部門のユージン・ストーナーによってNATO弾を使用するAR-10が開発された。ジョンソンM1941軽機関銃の閉鎖・撃発機構を元に、プラスチックやグラスファイバー、軽合金を多用した軽量な銃に仕上がっているが、アメリカ軍のトライアルでM14に敗れ採用されなかった。
現代
ドイツのSport-Systeme Dittrich社がレプリカをBD44の名称で販売している。モダナイズド化さたモデルもあり、レールシステムなどが装備されている。
7.92mmx33弾はコレクター向けに現在も製造されており、レプリカだけでなくオリジナルモデルも使用することが出来る。また、.22LR弾仕様のコピーモデルGSG-StG44がドイツのGSG社で製造されている。
2012年、シリア民兵が保管していた5,000丁のStG44が発見された。
第二次世界大戦中、チェコスロバキアではドイツ軍向けの兵器が大量に生産され、戦後に余剰となった戦車はシリアに輸出されて中東戦争において使用された。
同じ頃に輸出され、AK47の普及にともない予備役として保管されていたのではないかと考えられている。
性能諸元
全長 | 940mm |
---|---|
銃身長 | 419mm |
重量 | 5,220g |
口径 | 7.92mm |
弾薬 | 7.92×33Kurz弾 |
装弾数 | 30発 |
Wikipedia:「StG44_(突撃銃)」を参照。
関連イラスト
関連タグ
ギラ・ズール(標準装備のビームマシンガンの意匠が、ほぼこの銃そのまま)