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浅井長政の編集履歴

2020-05-05 01:28:20 バージョン

浅井長政

あざいながまさ

浅井長政(1545年~1573年9月24日)とは、戦国時代に活躍した武将で、近江(現在の滋賀県)北部一帯を治めていた戦国大名でもある。

概要

北近江(現・滋賀県)の戦国大名。浅井氏の3代目にして最後の当主である。

先代当主でもある小谷城主・浅井久政の子で、母は正室・小野殿


妻は織田信長の妹、お市。(ただし長政には前妻が存在した)

そのため織田信長にとって長政は義理の弟にあたる。


なお「浅井」の読みについては諸説あり、基本的に「あい」の読みが現在では主流として使用されるが、正しくは「あい」とする説も存在する。


生涯

天文14年(1545年)に浅井久政の嫡男として、六角氏の居城・南近江の観音寺城下(現在の滋賀県近江八幡市安土町)で生まれる。幼少時の名は猿夜叉丸(さるやしゃまる)


永禄2(1560)年、近江守護・六角義賢の偏諱を受け賢政(かたまさ)と名乗り、義賢の家臣・平井定武の娘と結婚する。当時の浅井家は祖父・浅井亮政の代から六角氏に臣従する関係にあり、こうした諱や婚姻も義賢による六角家と浅井家の臣従関係をはっきりさせる目的があったとされる。


翌年、若干15歳にして倍以上の軍を率いた六角氏を野良田の合戦で破った事で重臣達の信望を集める。同じく重臣たちが六角氏に対する不満を募らせていたことも重なり、賢政は同志たちと共に六角氏からの離反を決意。定武の娘と離縁し、諱も返上しその以前に名乗っていた「新九郎」を名乗るなど、対抗姿勢を強める。

加えて、父・久政から家督を(半ば強引に)譲り受け、永禄4年より長政と名乗るようになる。


六角氏を破り、晴れて北近江の領主になった長政であったが、大名に統治される事を望まない惣村が数多く存在しているという問題が残っていた。

そんな中、北近江のある地域で農業用水を巡った惣村同士の争いが発生。長政は自ら村人の言い分を聞いた上で裁定を行う形で村人と歩み寄ろうとしている。

また、村人達の心の拠り所についても考慮し、彼等が守り神としている弁才天を奉納する蓮華会(れんげえ)というが毎年行えるよう、祭の開かれる竹武島の社殿を修復させ、相応の寄付金も与える事で、人々の暮らしに安心を与え、信頼を勝ち取っていった。


このあたりの時期で、織田信長から同盟を持ち掛けられ、その妹・お市と結婚。織田氏との同盟を結ぶ事になるのだが、信長は父・久政の盟友である朝倉義景と不仲であったのを理由に、家臣達からは賛否両論の意見が出ていた。

足利家の権威が失墜し始めた永禄11(1568)年、浅井軍を率いる長政は織田軍と共に京都へと出発。近江の地理を熟知していた長政は先陣を切り、反信長勢力の城を攻略する事で京への道を切り開き、信長の京への上洛に貢献している。

その結果、足利義昭の補佐を務めた信長の政治・経済の改革断行によって関所の税の廃止等が実現し、北近江と京を結ぶ琵琶湖の水運発展に繋がっている。

また、この時期には長政とお市の間に子供も生まれた事で、長政の人生は最良となっていたと言っても過言ではなかった。


しかし、元亀元(1570)年、信長が自分に断り無く朝倉氏へ攻め始めた(義景が信長からの上洛命令を無視した事が起因)事から、古くから親交のある越前の朝倉氏を助ける名目で信長との同盟を破棄。義景と共闘する事になる。


越前へ軍を進めた長政は、乾坤一擲の好機と見て、織田徳川同盟軍を背後から急襲するも、肝心の信長には北近江から脱出されてしまい、これが浅井氏滅亡の引き金となってしまう。

一度京へと戻り、軍を立て直した織田徳川同盟軍は、浅井朝倉同盟軍の倍以上の規模となり、姉川の合戦で敗北。撤退を余儀無くされる。


それから約三ヵ月後、信長の傀儡になる事を快く思っていなかった義昭によって、武田信玄朝倉義景本願寺顕如等に信長の牽制(反信長包囲網)を持ち掛けた密書を送られ、同様の密書が長政の元にも送られてきた結果、反信長包囲網を結成。地元の寺に助力を請い、民衆を戦力として加えた長政は、比叡山に自陣を敷き、反信長包囲網の要として本願寺や武田氏と結び抵抗を続け、信長が各地で巻き起こる反乱を抑える為に兵を分けざるを得ない状況へと仕向ける。

しかし、信長の策略によって正親町天皇による講和の命令が下されてしまった結果、比叡山の陣を引き払って停戦を受け入れざるを得なくなった。


それから一月も経たない元亀2(1571)年、包囲網を崩す事を狙った信長によって、北近江の交通の要であった港や街道を封鎖されてしまい、浅井氏は他の反信長勢力との連携を遮断されてしまう。

更に、その後の二年間において、比叡山の焼き討ちや京での義昭追放によって磐石の態勢をとった信長は、天正元(1573)年に小谷城へ出兵。救援に駆け付けようとした朝倉氏も越前に追い込み滅ぼした事で、浅井氏は完全に孤立してしまった。

落城寸前まで抵抗を続けた浅井氏だったが、長政はお市や子供達を脱出させた後、城に火を放って自害した。


京の獄門に首が懸けられ、浅井氏は長政の代を最後に断絶した。


死後

翌天正2(1574)年、織田氏の正月の酒宴の酒肴として、朝倉義景と浅井父子の首(髑髏)が薄濃(『はくだみ』=漆塗りにして金粉を施す事)にされ、白木の台に据え置かれていた、と『信長公記』に記されているが本当かは定かではない。更には信長はその薄濃を杯にして酒を飲んだという俗説があるが、信長はあまり酒を嗜まなかった事実がある為、後世の作り話という可能性が高い(また、そもそも薄濃にする事というのは死者に対して弔いや敬意を表するという意味が籠められている)。


お市との間に生まれた浅井三姉妹茶々)は母とともに尾張へ逃れた。浅井の家名こそ断たれたものの、後に茶々は天下人・豊臣秀吉の子を二人産み、次男・豊臣秀頼は秀吉の後継者となった。江もまた江戸幕府二代将軍となる徳川秀忠との間に子を授かり、その内の一人・徳川家光は後に三代将軍となっている。そして江と秀忠の娘・和子は後水尾天皇に中宮として迎えられ、その子らは天皇となるなど、血縁自体は後世まで続き、尚且つ時代に大きな影響を与える人物が数多く輩出されている。


また、長政が復興させた蓮華会は、今も毎年8月15日に開かれ、北近江であった地の人々達にとって心の寄り処になっているとされている。


人物

長政は180cmを越える長身であったとされ、妻のお市も168cmと当時の成人男性に並ぶほどの長身であり高身長夫婦であったという。また、姉である阿久も身長176cm・体重105kgの大女であったとされる他、血縁上孫にあたる豊臣秀頼も身長196cm・体重161kgの巨漢であったという説も存在し、浅井が大柄の血統であったとおもわれる。


現代のゲームアニメでは一般にイケメンで描かれる長政だが、肖像画ではガッシリ系の大男で、イケメンとは言い難い(尤も、当時と現代では美的感覚が異なるうえ、肖像画は後世に描かれたものが多く必ずしも本人の姿に似ているとは限らない)。


武勇に冴えない父とは対照的に長政は有能な武将であり、15歳の若さで自ら兵を率い、野良田の戦いでは見事な采配ぶりを見せつけた。姉川の戦いでも敗れたとはいえ寡兵ながら善戦し、地形を利用して織田軍に奇襲するなど戦術的にも優れていた。信長も「先祖に超えたる剛の者」と評し、もし長政が長生きしていれば確実に信長の脅威になりうる男であったであろう。


お市とは政略結婚だったが夫婦仲は良く、長政はお市を大切にした。織田家と対立することになっても、家族が離れ離れになることを憂いたのか、周囲の意見を押し切って離縁せずに留めている。


お市の輿入れに際し、信長からは友誼の証として一本の名刀が贈られる。

のちにこれは浅井一文字と名を与えられ、浅井家崩壊後は茶々に託されて豊臣秀吉の手に渡り、さらに豊臣家崩壊後は尾張徳川家によって焼け跡から発掘されて徳川家の所有となり、さらに5代徳川綱吉の代に柳沢吉保に下賜されて柳沢家の家宝となり、江戸幕府崩壊後は柳沢家の没落に際して山県有朋によって保護され、有朋亡き後に起きた関東大震災で焼失している。


織田家と敵対した理由

浅井側の記録によると、長政は信長を裏切るつもりは無かったものの、父・久政や老臣たちは古縁である朝倉家との関係を重視して織田家と戦うことを強硬に主張したため、長政は苦渋の末に朝倉家に付くことを決断したという。事実、久政は家督を譲った後も家中で発言力を有していたことが確認されている。

そもそも金ヶ崎での急襲は久政の命であって、長政は事後報告の形で状況を知ったため、否応なく信長と戦わざるを得なくなったという説もある。


また浅井家内部で「浅井家はいずれ織田家の家臣になるのではないか」という不満があったという説、「琵琶湖を巡る権益を狙って北近江を支配しようとしているのではないか」という猜疑心を抱き始めた結果、織田についていても利益が無いと判断して裏切ったという説もある。


創作作品における長政

絶世の美女と謳われた妻お市との釣り合いの関係上か、美形、特に細身のイケメンとして描かれることが多い(しかし実際に残っている肖像画では、むしろ恰幅の良いやや太めの男性である)。

武勇に優れ同志たちからも信望を集めたという話もある事から、概ね誠実な人物として描かれていることも共通している。


浅井長政(戦国無双)

浅井長政(戦国無双)を参照


浅井長政(信長の野望)

どのシリーズでも能力的に父久政よりは優秀

特に信長の野望 DS2では父・久政と共にチュートリアルの説明担当として登場、凡庸な父にゲームのやり方を様々な表情をしながら説明をする役割をする。

チュートリアルのラストでは久政から家督を譲られるが、本編ではなんと!!専用エンディングも用意されてる!!。長政が好きな人なら是非頑張ってクリアして貰いたい。


浅井長政(戦国BASARA)

無言即殺!悪と無駄口、削除なり!!

正義のひと

CV:辻谷耕史


紅白の衣装に3分間のみ効果を発揮する固有装備とどこかで見たキック技、

さらに技を出した後の決めポーズなど、全体的に「特撮」がテーマのキャラクター。

異常なまでに正義感溢れる性格で、例えるならば、赤信号を無視して横断歩道を渡ったら斬られるレベル。

詳しくはこちら


浅井長政(殿といっしょ)

【殿いつ】浅井長政【焼討ち怖い】


肖像画とは真逆の虚弱体質で臆病者な優男で、常にオドオドしている小心者。

ひきこもりがちで、危険を感じ取ると奇声を発しとんでもなく小さい隙間に逃げ込む始末。体力も低く、鎧を着れば一歩も動けず、二升の米を持ち上げただけで大喜びするほど、壊滅的にモヤシ。

妻のお市とは結婚してからの夫婦仲は良好な様子。

義兄である織田信長等に対し、隠れ癖が付いている。


浅井長政(信長の忍び)

お市と長政

CV:内匠靖明

こちらは打って変わってバケモノであり、幼い頃より鍛え抜かれた体は槍も刀も通さず、戦場に出れば雑兵どもを紙屑のように蹴散らす怪力武者。己の筋肉に猛烈な自信を抱いており、いかなる時も鍛錬を欠かさず、自らの筋肉と会話ができるほど。あまりに身体能力が高すぎるため、部下からは「武将じゃなくて足軽向き」と言われていた。

(以前から側室はいたが)正室・お市のことを深く愛しており、娘たちの事も溺愛していた。織田家に追い詰められ、切腹を迎えた時は「成長した娘たちの姿を見れないのは哀しいが、輿入れの別れを迎えなかっただけ幸せだ」と滂沱していた。

彼の鋼の身体に唯一無二の傷をつけたのも、彼自身の鋼の腕だった。鍛えに鍛えた愛刀は鉄板を突き破ったような爆音を挙げ、悔いを残すことなく自らの一生に終止符を打った。


浅井長政(織田信奈の野望)

長政詰め合わせ

CV:斎賀みつき

青髪を束ねた美貌の戦国武将。女を道具扱いし、織田家に同盟の証として妹の輿入れを要求する。

…が、実はある秘密を抱えている。

詳細は該当項目参照。


浅井長政(戦国大戦)

長浜・北ノ庄・一乗谷記念

(中央が浅井長政。左は柴田勝家、右は朝倉義景

CV:野宮一範


「1570魔王上洛す」から参戦。新勢力・浅井朝倉家の浅井家当主。

最上位のレアカードであるSR版と、初心者・群雄伝向けの「戦国大名(スターターカード)」版の2種類がある。

どちらも現在排出停止になっているが、戦国鬼札(せんごくジョーカー)という仕様のカードと、それによる「電影武将(デジぶしょう)」(排出停止したカードの代わりになるデータ置き換えシステム)により現在も扱える。

もちろん、実物が有ればそれも使用できる。


白くきれいな翼が付けられた鎧を着た特徴的な姿で、とにかく白が強調されている。

(義兄の信長は青と金色の禍々しい翼を付けた鎧を着ており対照的になっている)


信なくば義立たずの精神の下、信長の過酷なやり方ではいずれ行き詰ると考え、

信長の越前侵攻を機に離反して信義のために戦う……というある意味スタンダードな人物像。

台詞回りも『命尽きる時まで 正々堂々と戦え!』(開戦前)や、『どんな苦難に遭おうとも、守ってみせる!(『運命を乗り越えよ!』)』(計略使用時・括弧内はSR仕様のもの)など、やはり正義感の強いものになっている。

本項では、3つの仕様(SR・ST(UC)・SJK(戦国鬼札))を解説する。


SR仕様解説

二つ名は「近江の鷹」。

スペックはコスト3 武力9/統率9の騎馬隊で、特技は「魅力」。

コストに対して若干武力が低めだが、統率の高い騎馬隊というのは貴重な存在。

相手の妨害に強く、要所でのせめぎ合いでも安定した攻めが出来る。


SR版の計略「正義の進軍」は、長政自身が敵陣にいる間は浅井朝倉家の武将が追加の武力上昇を

得られる大名采配(自陣で武力+4、敵陣に入るとそれに+2、長政が撤退している場合「長政の最後に居た位置で固定」)で、積極的に敵陣に攻め込む展開で真価を発揮する。

なお、Ver1.2以前は陣形計略だったため、常に効果が変動する計略でもあったが、現在でも効果は変動する。


戦国大名(STないしUC)仕様解説

二つ名は「戦国大名」。

イラストはSR仕様のもののアップを使用している。

スペックはコスト2.5 武力8/統率8の騎馬隊で、特技は「魅力」。

SR仕様からコストが0.5減って、それに伴い武力・統率ともに1ずつ低下した。

ST版の計略は「円陣」で、円形の陣形を展開し、武力が3上がるという、初心者にとって使い易いカードとなっている。また必要士気もSRより軽い分、裏の手として組み込んで戦う事が出来る。


戦国鬼札(SJK)仕様

現在の「1582 -日輪、本能寺より出ずる-」からは、スターターパックの仕様が変更され、数種類の戦国鬼札がまとめて入手できるようになっており、この「浅井長政」は、織田信長羽柴秀吉伊達政宗と同じパックに入っている。

スペックはコスト2 武力7/統率7の騎馬隊。

上二つの仕様ではあった「魅力」が失われているが、元々のスペックをコスト比高バランスで備えているため、総合力は悪くない。

こちらの計略は「早駆け」になっており、自身の移動速度を上昇させるものになっている。


「死を恐れるな!  運命を乗り越えよ!」


余談

妻であるお市の方も参戦している。しかし彼女の計略は味方武将にかかっている計略を敵味方のもの問わず打ち消してしまう「流転の命運」のため、このゲームではめずらしく夫婦間の相性が良くないことが知られている。

また、共に筐体から排出されるカードである為、「SR浅井長政が来た!!」と思い、カードをよく見てみると「戦国大名」版でガッカリしたというプレイヤーが多々いると言われている(その事実は雑賀孫市にも当て嵌まる)。


浅井長政(ラヴヘブン)

乙女パズルゲームの攻略キャラクター。初期レアリティはNでの登場。

金髪青目の青年。純粋すぎる面があり、嘘を見抜けず騙される事もしばしば。

メインストーリーでは敵として登場するが、主人公らによって解放される。


関連タグ

戦国時代 武将 大名

浅井夫婦 浅井三姉妹


関連人物

浅井久政(父) 小野殿(母) 浅井亮政(祖父)

阿久(姉) 京極マリア(姉、京極高吉室)


お市(妻・継室)


茶々 / 淀殿(長女、豊臣秀吉室)

(次女、京極高次室)

(三女、徳川秀忠室)


六角義賢 織田信長

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