- 外国人アーティストの一覧は「洋楽」を参照のこと。
もしかして:EA販売の同名音楽ゲーム
概要
ロックミュージックを演奏する音楽バンド。伝統的にエレキギターが中心で、典型的にはボーカル、ギター、ベース、ドラムの4人で構成され、これにしばしばキーボードが加わるが、2人構成や3人構成のバンドもいれば6人や7人、あるいはそれ以上のビッグ・バンドもあり、定まった構成はないといってよい。
ロックバンドの変遷
黎明期
米国でロックンロールというジャンルが生まれたのが、1950年代。1960年代にかけてビートルズやエルヴィス・プレスリーといったロックスターが世界的に注目される。
1960年代後半〜1970年代前半
1960年代後半から1970年代初頭はロックの「黄金時代 (golden age)」と言われ、ロックのジャンルの細分化や他ジャンルとのクロスオーバーが進み、メタル、ハードコア、フォークロックなどの様々なサブジャンルの音楽が産みだされる。大衆受けするキャッチーさを狙ったロックバンド(産業ロックなどと揶揄された)が大ヒットを記録する一方、クラシックやジャズ、現代音楽に接近し芸術性を志向するプログレッシヴ・ロック(プログレ)の流れも生まれた。
日本ではこの時期、エレキギターブームという形でロックバンドの黎明期を迎える。ビートルズなどに触発される形でのちにグループ・サウンズと称されるバンドが多数登場しアイドル的な人気を博したが、音楽的には歌謡曲や和製ポップスなどの範疇に入るものが主流だった。また、初期のロッカーの中には内田裕也のように「日本語はロックに乗らない」と主張し英語の楽曲のみを発表する者もいた。そうした中ではっぴいえんどや村八分など日本語ロックを志向するバンドが活動を開始した。
1970年代後半
過度に複雑化したプログレッシヴ・ロックや、商業化したロックへの反発から、シンプルなサウンドに原点回帰した「パンク・ロック」がロンドンから世界を席巻(ただし、ダブ、ファンク、スカ、レゲエや世界各地の民族音楽を取り入れたパンクバンドもあり、これらは「ポストパンク」と呼ばれる)。パンクの流れは短期間で収束し、ポストパンクに電子音楽などを多彩に取り入れた「ニュー・ウェイヴ」に移り変わっていく。
日本ではこの時期、キャロルから独立した矢沢永吉、「ロック御三家」と呼ばれた世良公則&ツイスト、原田真二、Charがロックを一気にメジャーにした。一方で四人囃子やゴダイゴ、裸のラリーズといったプログレッシヴなバンドが市民権を得ていった。
1980年代
パンクの台頭と収束後も、引き続きロックは若者音楽の主流でありつづけた。MTVやラジオ、メディアでのマーケティングによりボン・ジョヴィは1000万枚を超えるヒットを記録した。また、L.Aメタルを代表とするヘヴィメタルがブームとなり、のちにハードロックとともにHR/HMというカテゴリーにまとめられた。ヒップホップの台頭に伴い、ラップをロックに取り入れる動きも現れる(ラップ・ロック、日本ではミクスチャー・ロックと呼ばれることが多い)。
日本では1980年代後半に第二次バンドブーム(1970年代末の第一次より遥かに規模が大きかったため、日本で単にバンドブームと言うと第二次を指すことが多い)が起こり、BOØWY、UNICORN、THE BLUE HEARTSらが登場、ロックというジャンルがポピュラーミュージックとしてすっかり市民権を得た。また、レベッカの創出した「男性メンバー3人+女性ボーカル」というスタイルは日本の後続のバンドに大きな影響を与えた。今でも活動を継続するB'zが活動を本格化させたのもこのころ。この時期は「邦ロックが花咲いた時代」と称する者もいれば、「ロックの商業化が進んだ時代」と称する者もいる。
しかし、インディーズでは、更なる音楽性の多様化が進んでいた。アヴァンギャルド・ハードコアといったワードが盛んに使われるようになったのもこの時代だ。
1990年代〜2000年代前半
1990年代前半には米国・シアトルを起点に、パンクの反逆精神と、ハードロックのギターリフを融合させたニルヴァーナなどのグランジ・ロックが社会現象を起こす。
グランジが一応の収束を見せた1990年代後半以降、米国ではヒップホップがR&Bとともにヒットチャートを席捲、ロックはもはや音楽産業の主流ではなくなった。グランジの収束後、パンク、ハードコア、ノー・ウェイヴ、ラップ・ロック、ガレージロック、グランジなどを総括した「オルタナティヴ・ロック」という概念が生まれ、欧米でも日本でもオルタナティヴ・ロックが主流となる。しかしそれは(特に日本では)パンクやオルタナティヴ・ロックが本来の反逆性や革新性を失い、単なるポピュラー音楽の一ジャンルとなることを意味していた。ただし、オルタナティヴ・ロックとしてくくられるバンドは、バンドとしての姿勢も音楽性もあまりにも多様で雑多であり、一概に語れる概念ではないことには留意されたい。
日本では米国のようなヒップホップの台頭が(顕著には)起こらず、X JAPANやLUNASEAなどのヴィジュアル系や、JUDY AND MARYのようなレベッカフォロワーといった、日本独自のスタイルのロックバンドが隆盛を極め、J-POPの販売戦略として盛んになったタイアップ商法が盛んに展開された。
2000年代に入ると第二次バンドブームのリバイバルとして、パンク調のシンプルなサウンドに明るく前向きな歌詞を乗せる「青春パンク」と呼ばれるバンドが中高生の支持を集める。
2000年代後半以降
この時代は音楽消費者の嗜好の多様化が究極にまで進み、社会現象となるようなバンドはもはや存在しない。ロックに限らず音楽バンドの活動の場がインターネットやライブ会場となり、あらゆる時代のあらゆる音楽が流通し同列に聴かれている。ロックとしての主流は1990年代に引き続きオルタナティヴ・ロックであるが、オルタナティヴというジャンル自体が定義が無意味なほど多様であり、またロックと他ジャンルの音楽の線引き自体も不明瞭である。