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牧野富太郎の編集履歴

2022-12-17 22:36:13 バージョン

牧野富太郎

まきのとみたろう

日本の植物分類学の父。命名した植物は2500種以上、発見した植物は600種以上とされる。

概要

明治期から昭和戦後の長きにわたって活躍した植物学者野草から栽培植物まであらゆる植物を研究した、当代の植物学の第一人者であり、新種や新品種など2500種類以上の植物を命名したことから「日本の植物分類学の父」と呼ばれる。


もよくし、著書の多くは自ら図版を手がけた。彼の手がけた「牧野日本植物図鑑」は没後も改訂を重ねて山野草や園芸愛好家らに親しまれている。


略歴

幕末の1862年、土佐国佐川村(現高知県佐川町)で裕福な造り酒屋に生まれた。両親は早くに亡くなり祖母浪子によって溺愛されて育ち、幼いころから草木に特別な興味を示していた。


小学校は既に知っていたことばかりでつまらなかったので2年で中退し、好きな植物採集に打ち込む日々を送る。郷里で勉強するだけでは飽き足らなくなり17歳で高知市に出る。ここで西洋の植物学を知り、日本中の植物を記載した植物図鑑を作る夢を抱いて19歳で上京。22歳で東京帝国大学の矢田部良吉教授を訪ね、植物学研究に没頭する。


東京では、祖母が甘いのをいいことに婚約者に家業を押し付けて、東京の菓子屋で見初めた若い女性と暮らし(牧野は酒を飲まないので甘党だった)、実家の金をとんでもない勢いで研究並びに東京での生活に費す気ままな生活を送った。1887年に友人と「植物学雑誌」を創刊、その翌年、かねてからの夢であった「日本植物志図篇」の刊行を始める。自費出版で絵は自分で描いた。


東京帝大に出入りするようになる前から日本各地で集めた標本をロシアのカール・ヨハン・マキシモヴィッチに送って指導を受けており、1890年のムジナモの発見で世界の植物学界に名を知られることになる。しかし同年、牧野の不遜な態度を快く思わなかった矢田部良吉教授・松村任三教授らにより植物学教室の出入りを禁じられて帰郷を余儀なくされ、マキシモヴィッチを頼ってロシアに行こうとするも彼が亡くなり実現せず。ついに祖母の死後、番頭を筆頭とした親族・従業員一同により実家を追い出される騒動に至る。


植物学教室と実家を追い出された事で、学問拠点と生活の糧を同時に無くしたため「日本植物志図篇」の刊行も中断してしまった。実家と縁が切れた事で、妾であったスエ(寿衛子)と籍を入れ多くの子どもをもうけるも、家庭を顧みなかったゆえに困窮する。


その後、牧野の学識を惜しむ友人らの助力で東京に戻り、東京帝大助手となる。講師となったのは1912年、牧野50歳の時だった。1939年、77歳の時まで東京帝大に勤務していた。その翌年、研究の集大成として「牧野日本植物図鑑」の刊行を始める。


1957年(昭和32年)、94歳で死去。没後従三位に叙され、勲二等旭日重光章と文化勲章を追贈された。


人物

小学校中退の学歴でありながら理学博士の学位を持っていた。学歴がなかったのは、牧野が植物への学識のみに価値を認め、他のあらゆる権威を認めなかったためである。植物に関しては牧野が日本で一番詳しかったから、牧野は自身が日本一偉いと思っていた。この不遜な態度は様々な軋轢を生じ、日本の植物分類学の第一人者であったにもかかわらず東京帝大では最後まで教授になれなかった。


若い頃はなかなかの美男子。自他ともに認める生来のおぼっちゃま育ちで、常識礼儀をわきまえない振る舞いからトラブルを起こすことが多かった反面、育ちゆえの天真爛漫さや博識から多くの人に慕われた。


生涯を通じて最も打ち込んだのは植物学であるが、鉱物音楽にも深い造詣を持っていた。当時は珍しかった西洋音楽を郷里に紹介し、楽団を率いていた時期もあった。和漢の古典国語学にも詳しく、古典文学と草木を題材にしたエッセイも著している。牧野の命名した植物名はそのものずばりの即物的な命名か古典によったものが多く、後述のスエコザサのような私情を挟んだ命名は例外に属する。


スエとは1928年に死に別れており、1927年に発見した(アズマザサ)の変種に苦労をかけた妻への感謝から「スエコザサ」の名を冠した。このエピソードはイイハナシのように見える(実際このエピソードをもって牧野を愛妻家のように持ち上がる弁舌や人物評も多い)が、そもそも妻と子供たちに苦労を強いた元凶は牧野である。もちろん若い頃の研究と浪費で路頭に迷わせかけた実家の従業員ならびに捨てた婚約者には何一つ報いることはしていない。


造り酒屋の生まれだが、昔の男性の一般的な嗜みだった(大正11年の未成年者飲酒禁止法前の日本では子供でも飲酒するのが当たり前だった)煙草も一切やらなかった。この生活習慣のためか、好きな植物三昧でノーストレスだったおかげか、(87歳の時に大腸カタルで生死をさまよったほかは)90歳を過ぎるまで病気しらずで長寿を保った。


雑草という名の草はない」は元は牧野の言葉である。昭和天皇が牧野の言を引用したことから昭和天皇の言葉として知られるようになった。


没後

1958年高知市の五台山に牧野の名を冠された「高知県立牧野植物園」が設立された。付近には四国八十八箇所31番札所・竹林寺がある。


関連作品

ボタニカ(朝井まかて 2022年、祥伝社)

主人公として取り上げられている。同作では牧野の人としてアウトな側面(上述の無礼・不遜な態度、研究のために家業を傾かせ実家の従業員たちを路頭に迷わす寸前まで追い込む、祖母の決めた婚約者に家業を任せて植物研究の莫大な資金を出させていたのに東京で愛人(後の妻)を囲って子を産ませた上で婚約者をアッサリ棄て、自らの学識を極めんと妻子(スエや娘)を棄てて独身と偽りロシアへ留学&亡命しよう(未遂に終わった)とする、など)もかなりピックアップされている。


らんまん連続テレビ小説、2023年度前期、NHK

主人公・槙野万太郎のモデル。演じるのは神木隆之介


関連タグ

野口英世 南方熊楠:牧野と同様、天衣無縫な人柄で多くの人から愛された反面、破天荒な行動数々の騒動を巻き起こしたり多くの人に迷惑をかけたりした学者。


高知県 学者 植物学 園芸 高等遊民 植物画 図鑑

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