2024/11/14 21:36 版共に哨戒任務に就いていた。
乗組員は軍人7名、軍属7名の合計14名。
その内軍属の7名は**徴用前からの船員**だった。
昭和17年4月18日、前日に哨戒任務を次の部隊
2024/11/14 16:34 版:10 空母[[エンタープライズ(CV-6)]]のレーダーが第二十三日東丸を含む複数の船影を捕捉。夜明けとともに索敵の為に[[SBD]]ドーントレスが発艦。
-06:15 ドーントレスが第二十三日東丸を発見
2024/11/14 14:22 版命と引き換えに特設監視艇としての任務を果たしたのだった。
当初、米機動部隊は日本本土まで接近してから攻撃隊を発進させ、夜間空襲を計画していた。
だが、第二十三日東丸に発見されて報告された
2024/11/14 01:18 版らかだったが第二十三日東丸の乗組員は諦めなかった。
-06:30 第二十三日東丸が**「敵艦上機ラシキモ三機機発見」**と発信。
-06:45 第二十三日東丸を視認した[[軽巡洋艦]]ナッシュビル が砲撃を開始。
-06:50 第二十三日東丸が**「敵空母三隻見ユ」**と発信。
-06:57 第二十三日東丸が針路を変え、米艦隊へ突進を開始する。
2024/11/13 20:44 版ができないのが第二十三日東丸である。
母港は山口県の下関漁港で排水量は90トン、昭和16年12月1日に徴用されて第5艦隊第2監視艇隊に配備され、黒潮部隊と共に哨戒任務に就いていた。
昭和17年4月18日、前日に哨戒任務を次の部隊に引き継
2024/11/13 15:34 版と[[無線局]]の発達、そして海軍の事情が密接に関連してくる。
明治時代までの漁船は[[エンジン]]を搭載しておらず、船体も小型で操業区域も沿岸付近だった。しかし大正時代以降になると、漁船は大型化し当然の事ながらエンジンを積んでマリアナ諸島やニューギニア近海といった日本から遥か彼方で遠洋漁業を行うようになった。
2024/11/13 14:49 版全国の登録漁船は839隻で、その内265隻が徴用され、哨戒任務に従事した。
先述した黒潮部隊のみでも昭和十七年二月の時点で76隻の特設監視艇が所属し、その後196隻が追加されたが昭和十九年に**89**隻、二十年には**77**隻を喪失した。
最終的な特設監視艇の損害は戦没艇数**300隻**、損耗率は**73.7%**であった。
特設駆潜艇や特設掃海艇など、同様に特設艦船として徴用された漁船全体の戦没数は**650隻**であり、徴用漁船全体の**77%**にも及ぶが、これらは**現時点