概要
雛は「厄神様」としてその身に厄を集め、溜めていく。
それは人間に厄がいかないようにするためであり、かつ厄が雛自身の活力となるためである。
集められた厄は雛のスペルカードにも利用され、厄い弾幕として具体化される。
なお、この能力などに関連した『東方求聞口授』文中(資料の花果子念報内の記述含む)などでは「厄を溜め込んで~」「厄を人形に溜めて~」など、「溜め」の部分について漢字表記が用いられている。しかし、能力名そのものは「ため込む」と平仮名表記となっている。
稗田阿求曰く
厄を集める方法の一つとして、人間が厄払いに用いる流し雛を利用し、その厄を負った雛人形を川下で回収することで厄も集めるという方法をとる。厄が溜まるのと比例して厄を回収し終えた雛人形もまた自然と雛の周りに溜まることになるが、雛はこれらの人形を無人販売所形式で人里でリサイクルしている(『東方求聞口授』)。
花果子念報によれば
本来、上記のような雛人形を介した厄の放出と収集のサイクルが雛や人里の人々の両者にとって良い循環となるのであるが、花果子念報の報告によれば、昨今は人間側の文化的動向が変化してきている。昨今は人里で豪華な雛人形を雛祭りの際にお飾りとして用い、かつその雛人形が高価であることもあって、人々はその雛人形を川に流さなくなった。
すなわち、この雛人形では雛人形が元々期待されていた本来の役割である「厄を代わりに受けて手放すための媒体となる」事がなされず、上記のような厄にまつわる循環を生み出せない状態にあるのである。
一方で「厄を溜める」という機能はその雛人形にも従来通り存在するため、雛人形には厄がたまり続け、日を追うごとに「厄い」状態が悪化していく。
これは雛にとっても憂慮すべき事態であるため、雛はこの風習を変化させるある具体的アイデアを人里に向けて発信している。
なお、雛による川に流された雛人形の回収度合いは、「 (雛が)出来るだけ 」である。
取り漏らしもあるようだ。
これは厄を溜めた雛人形が川下、即ち外の世界に流出することを意味しており、同新聞記事筆者の姫海棠はたてはこの点に懸念を示している。