概要
1897年(明治30)1月17日創刊。紙名の由来は、明治維新の際に「白河以北一山百文」(意:白河の関より北は、山一つ100文の価値しかない)と蔑まれた東北地方の意地を見せるために、創業者の一力健治郎らが名付けた。東北各県に支局や取材拠点を置いているため、東北地方のブロック紙と位置づけられているが、各県地方紙のシェアが高いために、実質宮城県の地方紙という面が強い。ただし、東北地方全体の記事や話題を俯瞰的に見ることが出来るので、宮城県外では職場で多く読まれている。創刊当初は東北諸藩が多く入植していた北海道でも販売されていたが、程なくして撤退した。