中川昭一
なかがわしょういち
日本の政治家、自由民主党所属。平成21年10月3日没。同じく自民党所属の中川秀直とは姻戚関係はない。
父は農林水産大臣、科学技術庁長官などを歴任した元衆議院議員の中川一郎。
父・一郎の死を受けて政界に入り、北海道第5区、小選挙区比例代表並立制導入後は北海道第11区から選出され、平成21年に落選するまで、連続8期、衆議院議員を務めた。
農業王国・十勝を地盤とする農林系の議員であり、銀行勤務歴があることから財政・金融に明るかった。
農林水産大臣、経済産業大臣、財務大臣、内閣府特命担当大臣(金融担当)を歴任したほか、党三役では自民党政務調査会長を務めた。
人物
酒好きで知られており、プレッシャーを紛らわせるため仕事前に飲酒する悪癖があった。泥酔して公の場に現れ不品行を働いたことが度々あり、身近な人々からは酒を控えるようしばしば注意されていた。酒癖の悪さを三宅久之に叱咤された時、支援者に対して禁酒宣言をしたが、これも結局長続きしなかった(その頃の中川は酒をやめようにもやめられないアルコール依存症に陥っていた疑いが強い)。
2009年2月、G7の財務大臣・中央銀行総裁会議後記者会見でもうろうとした状態であったのを「もうろう会見」「酔っぱらい会見」と新聞等に批判される。本人は原因が風邪薬であると釈明したもののバッシング記事は止まず、同年の衆議院選挙で落選してしまう。これらは日本国内のマスコミの「武士の情け」が海外でも通用すると甘く見ていた中川とその周辺の落ち度が原因である。
その後の中川は以前から優れなかった健康をさらに悪化させ、腰痛や風邪に苦しみ、不眠症のため睡眠薬を服用する状況であったという。
その後平成21年10月3日、自宅で急死しているのが発見された。正三位および旭日大綬章が追贈された。
法名は青邦院釋昭尊。その後妻の郁子が後継者となり2012年に衆議院選挙で当選している。