十勝は北海道の地域名のひとつであり、旧国名である。一般に「十勝」といえば、北海道に14ある振興局(一般には「支庁」「管内」と呼ばれる)のうち最大の面積(岐阜県より広い)を誇る地域のことを指す。
「十勝郡」もあるにはあるが、属する自治体は浦幌町のみで、皆その存在を忘れている。十勝総合振興局の最東端(釧路総合振興局に隣接)に位置し、人口は4200人くらいなので、広い北海道の中ではあまり意識されなくても仕方がないかもしれない。
地形を大雑把に説明すると、ざっくりと五角形をしていて、日高山脈が西、大雪山が北側にあり、十勝川が真ん中を西から東へ流れている。南東側は太平洋に面する。
自治体は令和4年の段階で19市町村(1市16町2村)が存在する。中心都市は帯広市。
東部で釧路総合振興局、北東部でオホーツク総合振興局、北西部で上川総合振興局、西部で日高振興局と接する。
名前は「水は枯れろっ 魚は死ねっ」というコロポックルののろいの言葉という説がある。また、北海道人松浦武四郎によれば、十勝の原語であるアイヌ語トカプチは「おっぱいの意」だそうであるが、北道邦彦は「太陽の意」と主張している。
何戸かのアイヌ集落があるだけの、大原野であったこの地は明治15年、バッタの大群が群がって耕作地を襲いまくりその被害が日髙、石狩平野まで及んだため、たまたま北海道旅行中であった依田勉三がそのニュースでもってそこの開拓を思い立ち、彼と共に伊豆の中学校で教師やってた渡辺勝ほか一団へそれを勧め、「晩成社」という開拓チームが結成され、行われることになった。
当時の十勝は虫の天国なので、全身を布で覆い目には柳材で作った「野球のキャッチャーのマスク」のようなものをカヤ布でくるんでつけ、鍬を振るって何とかした後、家に入る際には蓬の束で体を叩いて害虫を追い払い、速攻で体を家へ突っ込むという生活であった。
十勝の農家を描いた荒川弘の漫画『百姓貴族』では、「収穫がない」(とにかくバッタの襲来がひどかったらしい)にも拘らず開拓をやめない子供他に「あきれる女性」が出てくるが、長野県えー信州上田藩の家老の子鈴木銃太郎の妹で、開拓者と結婚した渡辺カネほか7人ばかり呆れられる女性がいる。渡辺カネはアイヌの人に習い、夏ははだし、冬はアットゥシの中に兎の毛皮を入れた装束で頑張ったという。
カネは看護師の技術があって薬品を持ってたので、近所のアイヌの皆さんへ予防接種などを施し、ユーカラを聴いてとりあえず(クリスチャンなので)賛美歌を歌うという文化交流をし、耕作地を作り、上述の服装のため明治二十一年に調査に来た道庁の技術者からアイヌに間違われ、北海道を放浪し明治23年にオベリベリへ来た画家ヘンリー・サヴェッジ・ランドーをもてなし(カネさんは英語が、「ミスタヘンリーはお名前がサヴェッジ(野人)なのにシビライズドジェントルマン(紳士)なんですね」とか言える程度に堪能だったそうな)、齢82まで開拓者の長老として一応君臨した。
北海道の他の地方と違う地域意識を持ち、住民の愛郷心が強い。住民はできるだけ地元の企業と取引し、外部業者を入れないことで地域の独立を守る「十勝モンロー主義」という文化があり、リベラルな気風が強い北海道の他の地域と違い、保守派が強いと言われる。そのため意外と明治・大正の開拓時代から続く老舗が多い。
豆や小麦などの畑作と酪農が盛ん。また農産物を使った食品加工も盛んである。太平洋に面し、また土地も広いが、稲作や漁業はさほど盛んでなく、比較的大きな港は南の広尾港だけである。『百姓貴族』1巻(カバー取ったところ)では、「沖へ出て山菜をとってくる」漁師が描かれる。
養豚も盛んであり、昭和初期に帯広の「ぱんちょう」で生まれた「豚丼」が地域の名物になっている。厚切りの豚肉を炭火で焼いて醤油ベースの甘辛いタレにからめ、丼飯の上に"これでもか!”と乗せたもの。
牛丼チェーンで牛肉の代替として普及した豚丼と区別する為に「十勝豚丼」と呼ばれることもある。