概要
1939年8月3日、東京都生まれ。
母方の曽祖父・平沼淑郎の実弟である平沼騏一郎に子供がいなかったため、両親とともに養子となり、平沼家を継いだ。名前の由来は、「赳赳たる武夫は公侯の干城」(『詩経』)。
1962年に慶應義塾大学法学部を卒業後、日東紡績株式会社に勤務。
その後、政界に身を投じ、中川一郎衆議院議員の秘書等を経て、衆院選に自民党(自由民主党)から立候補。2度の落選の後、6年半かかって、1980年に岡山一区より最高点で総選挙に初当選。以後当選10回。
その間、運輸大臣、通商産業大臣、経済産業大臣を歴任した。
2005年の郵政民営化法案に反対し離党、同年9月の衆議院議員選挙に無所属で当選した。
2010年4月に「たちあがれ日本」を結成し、代表に就任。「日本維新の会」を経て、「たちあがれ日本」の後身「次世代の党」の党首を勤めたが党の選挙での敗北縮小等苦難が多かった。また2015年秋頃体調を崩して入院したこともあり2015年9月代表を退任し離党した。側近や地元組織等は「最後に自民党に戻らせたい」との意向を表明しており、同年10月2日をもって自民党への復党が了承された。
2017年9月の衆議院解散に伴い、体調が思わしくないことなどを理由として政界引退を表明した。