概要
浄土真宗の中興の祖、蓮如が隠居後に布教の拠点として築いた。この時に出来た寺町がが大坂の源流となったと言われている。
当時の浄土真宗の本拠地だった山科本願寺が隣国の大名・六角氏に焼き討ちされて以降はここに本拠地を移し、以後石山本願寺として浄土真宗の聖地・一向一揆の指揮所として機能した。近畿の大勢力大名との抗争を続けるうちに堀、塀、土居などを設けて要害を強固にし、武装を固め防備力を増していき、武士達も受け入れていき、次第に城郭化していった。織田信長との対立時である顕如の時代には大規模な城塞と化しており、10年間に及ぶ攻城戦を繰り広げた。
最終的に一向宗側は講和条約を受け入れ石山本願寺から退去。城域には火が放たれ取り壊された。その後、豊臣秀吉はこの地に新たな城を築き、大阪城として政権の本拠地とした。