開発・生産
イタリア王国陸軍初の中戦車は、M13/40を開発したフィアット・アンサルド社によるM11/39であるが、M13/40の開発はM11/39の試作車が完成する1937年の12月には開始され(※1)、M13/40試作車は1939年10月にはイタリア王国陸軍に引き渡された。(※2)
M13/40はM11/39をベースとしているが32口径47mm戦車砲を搭載した砲塔を備え、戦闘室は拡大されM11/39が37㎜戦車砲を搭載していた位置にブレダ8mm機関銃が連装で装備され、一般的な配置に纏まった。
車体下部正面は平面から曲面に変更され、車体は18.5cm延長された。装甲は増大され、エンジンはSPA8T105馬力液冷ディーゼルエンジンからSTM8PM40 125馬力液冷ディーゼルエンジンに変更された。(※3)
M13/40は1940年7月から生産が開始された(※4)。M13/40のみ(M14/41を除く)で1941年まで710輌~799輌が生産された(1941年の途中からはM14/41の生産が開始され、1942年には生産が引き継がれた)(※5)
構造
当時としては一般的な構造で、車体前部から操縦室、戦闘室、エンジン室であり、戦闘室上部には2名用砲塔が備えられている。乗員は4名で、操縦手、車体機関銃手、装填手、車長兼砲手である。砲塔は油圧式旋回だが、手動式旋回装置も備える。砲塔バスケットは備えられていない。戦車を支える走行装置のサスペンションはリーフスプリング・ボギー式で、戦車は鋲接構造である。
武装、攻撃力
M13/40は32口径47mm戦車砲を砲塔に搭載し、ブレダ8mm機銃を砲塔同軸機銃、車体に連装機銃として備える。また、砲塔上に対空用に機銃を備える事も出来る。砲塔は360度旋回が可能で、仰俯角は-10~20度。砲弾はMad.39APBC/HE弾とMad.35HE弾を104発搭載する。(※6)照準器は、1.25倍×30度の望遠照準器。車体機銃の仰俯角は-15~23度で機関銃の搭載弾数は3000発。
Mad.39徹甲弾は重さ1.44kg、初速630m毎秒で角度30度の目標に対して
100yd39mm
500yd35mm
1000yd30mm
1500yd25mm
の装甲貫徹能力を有する。資料によると、この戦車砲では、英軍のA13巡航戦車Mk4に対して30度の角度で着弾した場合、砲塔防盾で600m、砲塔正面で800m、その他に1200m未満の距離で命中した場合、貫徹できるとされる。
装甲、防御力
M13/40は9mm~40mmの装甲を鋲接している。この装甲は英軍の2ポンド砲が着弾角30度で命中した場合、防盾と砲塔正面で600m、車体正面で800m、車体正面上部その他で1300m未満の距離で命中した場合、貫徹される。
またM13/40の装甲板の品質は悪く、被弾するとクラックが入る他、鋲接構造の戦車全般の弱点である、鋲が被弾すると破損して車内で跳ねまわる欠点を持つ。又、被弾時に機関銃弾が暴発しやすい欠点があった。
イタリア兵はこの戦車の装甲を不十分であると認識しており、しばしば土嚢を載せたり、履帯を装着して増加装甲代わりにしたが、これらによって車体の重量はまし、走行性能に悪影響を及ぼした。
走行性能
STM8PM40125馬力1800rpm液冷ディーゼルエンジンを搭載する。最大速度は31.8km毎時だが、不整地では15km毎時程度である。航続距離は道路で200km。燃料容量は210Lで傾斜角40度まで登る事が出来、超壕能力は210cm。渡河性能は深さ100cmまで渡河可能。
125馬力エンジンはM11/39より馬力は増大したが、馬力:重量比で8.9 metric HP/tであり、ドイツの3号戦車F.G型の12.9 metric HP/tや4号戦車E型の12.0 metric HP/tと比較してアンダーパワーである。
通信装置
M13/40は当初無線機を搭載していなかったが、後期型モデルからRF1CA無線機が搭載された。RF1CA無線機搭載型M13/40を初めて受領したのは1941年9月に編成された第7中戦車大隊であった。
派生型
・M14/41―1941年秋から生産されたM13/40のエンジン出力強化型。695輌~1103輌が生産された。(※5)
・M15/42―M13/40の中戦車としての最終発展型。82輌~248輌が生産された。(※5)
・M13/40Centro Radio―RF2CA無線機を装備した指揮戦車型。M14/41、M15/42にも同様の派生型がある。
・M13/40砲兵観測戦車―キューボラ付砲塔を有する砲兵観測車。
・SemoventeM40 75/18―75mm榴弾砲を装備した突撃砲。M14/41、M15/42にも同様の派生型がある。
・Carro Comando―突撃砲指揮戦車。M13、M14、M15各戦車をベースとしている。
戦歴
第2次世界大戦において、M13/40は北アフリカ戦線を中心に戦った。M13/40は当初北アフリカでは燃料不足、乗員の訓練不足、指揮官の的外れな指揮の為に大きな損害を出した。M13/40はドイツ軍の来援以降も、ほとんど全期間にわたって北アフリカ戦線における枢軸軍戦車戦力の約半数の割合を占め続けた。北アフリカ戦線の重要な作戦に参加したものの、不十分な性能のために次第に連合軍の戦車に対抗できなくなっていった。オーストラリア軍は、コンパス作戦で捕獲したイタリア戦車16輌を再整備して運用した。
イタリア本土ではドイツ、RSIにより運用された。
ギリシア、ユーゴスラヴィアにもM13/40は投入されたが、特にギリシアではクリスラをめぐる戦いで大きな被害を出した。ロシア戦線には投入されなかったが、休戦後ドイツ軍が捕獲運用していたM13/40は1945年ユーゴスラヴィアに迫るソ連軍と交戦するも、完全に旧式化しており相手にはならなかった。
性能
全長 :4.91 m
全幅 :2.23 m
全高 :2.39 m
重量 :13.7 t
懸架方式:リーフスプリング・ボギー式
速度 :32 km/h
行動距離:200 km
主砲 :32口径47mm戦車砲47/32×1(弾薬搭載量 104発)
副武装 :8mmブレダM38機関銃×4(弾薬搭載量 3,048発)
装甲 :14~40mm
エンジン:フィアットSPA8TM40 V型8気筒液冷ディーゼル 125hp/1,800rpm
乗員:4 名
脚注
※1 資料4p.152では1938年としている。記述は資料5p.12、資料6p.49に従う。
※2 資料3p.98では試作車の完成を1939年8月としている。記述は資料5p.12、資料6p.49に従う。
※3 資料7p.212では水冷エンジンとしている。記述は資料1p.37、資料5p.12に従う。
※4 資料5p.12では1940年6月としている。記述は資料2p.37、資料4p.152、資料6p.51に従う。
※5 各資料により生産数にばらつきがある為、最小~最大数を記載した。
※6 資料7p.212では85発としている。記述は資料1p.37、資料2p.92、資料3p.98、資料5p.12に従う。
参考文献
資料1.ガリレオ出版『第2次大戦イタリア陸軍装備ファイル』
資料2.アルゴノート社『PANZER 2005年4月号』
資料3.イカロス出版『ミリタリークラシックス Vol.45』
資料4.イカロス出版『イタリア軍入門』山野治夫/吉川和篤
資料5.squadron/signal『Italian Medium Tank in action』
資料6.Wydawnictwo miliyaria『TANK POWER VOL.CII M11-39/13-40 M14-41/15-42』
資料7.Shiffer Military History『TANK COMBAT IN NORTH AFRICA THE OPENING ROUNDS Operations Sonnenblume, Brevity, Skorpion and Battleaxe FEBRUARY 1941-JUNE 1941』Thomas L.Jentz
資料8.Wydawnictwo miliyaria『TANK POWER VOL.XXIX Mussolini's Tanks』