ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴
高内侍の編集履歴2015/10/21 12:06:26 版
編集内容:新規記事作成

プロフィール

生誕 不詳
没年 長徳2年(996年)10月

概要

CV:平田絵里子

平安時代中期の女流歌人で、女房三十六歌仙の一人。

名前は高階貴子、通称の高内侍は官職名である。また、息子藤原伊周の官名が儀同三司であることから、儀同三司母とも呼ばれる。

藤原道隆の妻で、藤原道雅の祖母にあたる人物である。

代々学者を輩出した高階氏の出身で、和歌を能くし、詩文に長け、殿上の詩宴に招かれるほどであった。

藤原道隆の妻となってからは、藤原伊周、藤原隆家、定子など3男4女に恵まれた。

だか、道隆が病死してから一変して中関白家は没落の一途を辿り、夫の後を追うように翌年亡くなった。

「百人一首」第54番

「忘れじの 行く末までは かたければ けふを限りの 命ともがな」

関連記事

高内侍の編集履歴2015/10/21 12:06:26 版
編集内容:新規記事作成
高内侍の編集履歴2015/10/21 12:06:26 版