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アドミラル・シェーア

あどみらるしぇーあ

第一次世界大戦時のドイツ大洋艦隊の司令長官のラインハルト・シェーア提督と、それに由来するドイツ海軍のポケット戦艦2番艦。なお“アドミラル・シェーア”とは英語読みでありドイツ語読みではアトミラール・シェーアである。

アドミラル・シェーアは、ドイツ海軍の保有した、「ポケット戦艦」の2番艦。

艦名は、第一次世界大戦時のドイツ大洋艦隊(日本の連合艦隊に相当する主力艦隊)の司令長官で、ユトランド沖海戦のドイツ側のトップでもあったラインハルト・シェーア提督に由来する。 艦これが流行っているそうなので艦これが流行っているそうなのでbychiko

1934年就役。スペイン内戦では地中海に派遣された。1937年5月の4回目のスペイン派遣作戦で姉妹艦のドイッチュラントがイビサ島でスペイン共和国派の爆撃機の攻撃を受け、31名が死亡、101名が負傷すると報復として共和国派の根拠地の一つであったアルメリア市に砲撃を行い、民間人19名を殺害、35戸の建物を破壊した。

 

第二次世界大戦では、ポケット戦艦3隻の中で最も活躍した。

開戦後の39年9月4日、ヴィルヘルムスハーフェンで爆撃を受け、500ポンド爆弾3発を受けるがいずれも不発。

3番艦アドミラル・グラーフ・シュペーがラプラタ河口に追い詰められて自沈したあとの1940年10月に通商破壊に出撃し、艦長テオドール・クランケ大佐の指揮のもと大西洋・インド洋を広く荒らしまわって、しかも無事帰国を果たした。

撃沈・捕獲は英補助巡洋艦ジャービス・ベイをはじめ16隻であり、仮装巡洋艦を除けば水上艦としての第二次世界大戦でのドイツ海軍通商破壊最大の戦果を挙げた。また拿捕もしくは撃沈した船舶の捕虜は丁重に扱われた。

食糧を大量に積んだ船を捕獲し、自艦ばかりでなく通商破壊の僚艦にも大盤振る舞いして感謝されたエピソードより。

 

大戦中期には北極海を横断し、北極海航路を航行するソ連船舶への通商破壊作戦を行った。

 

大戦末期には、生き残りの大型艦の1隻として、ドイツに迫るソ連軍に艦砲射撃を行っていたが、1945年4月、イギリス空軍の爆撃に遭い造船所内で横転・沈没した。

戦後残骸はドッグごと埋め立てられた。

艦橋は建造時は3番艦アドミラル・グラーフ・シュペーと同じ搭状の重厚なものであったがトップヘビーのきらいがあった為に1940年2月から9月にかけての改装で、1番艦ドイッチュラントリュッツォウ)に似たマスト状のものに変更された。

ヨーロッパのほとんどの言語と同じくドイツ語では船舶艦艇は普通は女性名詞で呼ばれる(例:Die Bismarck)がシェーアだけはなぜか男性名詞で表記される(Der Admiral Scheer)慣習が戦前からある。

 

艦名は西ドイツ海軍の138型教育フリゲート艦シェーア(旧英海軍改ブラックスワン級スループ「ハート」)に引き継がれた。

 

ゲーム戦艦少女に擬人化したキャラ、舍尔海军上将が登場する。外部リンク

私はポケット戦艦アドミラル・シェーアです。私はもう待てません!長官、私を戦闘に投入して下さい!

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