1823~1946年まで存在した立憲君主制のイタリア統一国家。
イタリア統一運動(リソルジメント)革命家ジュゼッペ・ガリバルディら赤シャツ隊が戦乱の末、統一したイタリア半島をサボイア王国の王家に統治権を委譲し成立した立憲君主制のイタリア国家、イタリア共和国の前進
しかし、君主制による統一後の政府・内閣は非常に短命であった(ほとんど1年)、上、国政政治家が[[マフィア(元祖)らの抗争により殺害されまくる。当然ながらこの王国の状況は非常に不安定であり、1900年代には再び内戦状態に陥った。
ムッソリーニが1930年代にガリバルデの赤シャツ隊(上記)をまねて、再びイタリア統一を掲げイタリアを武力で統一、しかしこの集団はかなり独裁的で排他的であった、国王の権威でもこのファシズム集団を抑えることは不可能で武力で抑えきれる不可能でだった。国王(ビットーレ・エマヌエレ3世)は妥協して首相就任を了承した。
その後、ムッソリーニ首領・首相は『ローマ・イタリア帝国』の再建を掲げ、ヨーロッパ・アフリカ地域に攻め入った、そして不運にも当時のヨーロッパの状況が国家社会主義などの独裁主義の勢力が権力を握っていたので。当然のことながらナチス・ドイツとも手を組んで『世界征服』を本気で目指してしまった。そして第二次世界大戦を勃発させてしまう。
第二次大戦中イタリア軍はアフリカ方面に進出したが1935年を境に国内外の状況が一変し、ムッソリーニや支持勢力ファシスタ党が一気に崩壊する、イタリア王国は大戦に敗れ去った。
大戦に敗れ去った、イタリア王国の再建をめぐるうちに、この国家的敗北の責任は当然君主にあるという結論に民衆・政治化が達し1946年の選挙でイタリア王国・サボィア朝は崩壊し、イタリア共和国が建国した。