長良型軽巡洋艦
ながらがたけいじゅんようかん
日本海軍が建造した軽巡洋艦の級名。
概要
長良型軽巡洋艦は、球磨型軽巡洋艦の船型と主要寸法を受けつつより高速な艦級として、1922~25年にかけて、八四艦隊計画で長良と五十鈴、名取、八六艦隊計画で由良と鬼怒、阿武隈の計6隻が建造された。
魚雷兵装は、魚雷と発射管数は同一であるが、六年式53cm魚雷から八年式61cm魚雷搭載に変更し、当時の世界水準において有数の攻撃力を持つものとなった。ただし、酸素魚雷の発射機能は持たず九○式空気魚雷を使用していた。1938年に四連装発射管2基に換装された阿武隈、1944年に同様の換装を受けた名取、1944年に防空巡洋艦化改装と同時に同様の換装を受けた五十鈴の3艦のみが酸素魚雷発射機能を持ち合わせた。
航空兵装は、球磨型では水偵1機を搭載するも肝心の発艦装置が装備されていなかったが、本型では滑走台方式の発艦装置を装備した。しかしながらこの方式は過渡的なものであり、発艦した機体を帰還後に収容する事ができず、射出機が実用化されると改装が施された。しかし、設計は同一のものである。このような状況であったにもかかわらず、長良型に代わる艦がなかったため、太平洋戦争において各方面で活躍し、日本海軍の功労艦となった。
1945年4月の坊ノ岬沖海戦に参加した五十鈴を最後に、6隻すべてが戦没したが、このうち3番艦の名取は、生存者が3隻のカッター(手漕ぎボート)に便乗し、13日間かけてミンダナオ島にたどり着いたという、奇跡の生還劇で知られている。
No | 艦名 | 工廠 | 起工 | 進水 | 竣工 | 戦没 |
一番艦 | 長良 | 佐世保 | 1920/09/09 | 1921/04/25 | 1922/04/21 | 1944/08/07 |
二番艦 | 五十鈴 | 浦賀 | 1920/08/10 | 1921/10/29 | 1923/08/15 | 1945/04/07 |
三番艦 | 名取 | 長崎 | 1920/12/14 | 1922/02/16 | 1922/09/05 | 1944/08/18 |
四番艦 | 由良 | 佐世保 | 1921/05/21 | 1922/02/15 | 1923/03/20 | 1942/10/25 |
五番艦 | 鬼怒 | 神戸川崎 | 1921/01/17 | 1922/05/29 | 1922/11/10 | 1944/10/26 |
六番艦 | 阿武隈 | 浦賀 | 1921/12/08 | 1923/03/16 | 1925/05/25 | 1944/10/25 |