概要
昭和20年代以降3扉車の製造・投入を墨守していた西武が、1970年代以降の激化する混雑を解消する為に投入した4ドア車両である。製造時期によって旧2000系と鋼体の設計が変更されたマイナーチェンジ車の新2000系に分けられる。
旧2000系
登場時・未更新状態 更新後
新宿線に投入された車輌。戦前型旧型国電モハ41系並みの性能でしかない旧型車の置き換え用として、実用一点張りのごついデザインの前面に、国鉄103系の初期型で使われているユニットサッシでない2段アルミサッシ窓、今となっては古式ゆかしきグローブベンチレータ、モーターはMT54系の界磁チョッパ対応改良の独自改良型という内外とも国鉄系の影響が非常に強い電車。
4ドアを採用したのは当初西武新宿~田無間の混雑時の各駅停車運用を重視して設計されたためで、当初は6連のみ。当初は電気連結器も装備されていなかったが、増結用として2連、編成組み替えで8連が組成された。また、1986年の田無事故で廃車になった車輛の補充分として、屋上ベンチレーターや内装の一部部品が新2000系と同様の最終形が存在する。
池袋線には正式に在籍していた事はないが、これは当時の西武が池袋線は3扉で十分というドクトリンによる。事実モハ63系譲渡車である4扉車旧401系は、まともに活用されることなく区間運転専用に終始し昭和48年に廃車になっている。後に西武3000系という折衷型が製造されるものの、輸送量増加により適応できなくなり、先ごろ全廃になった。また後年になってから度重なる更新工事シングルパンタ・方向幕のLED化・スカート取り付けなど一つとして同じ形態の編成のない個体差の激しい状態と化していたが、2015年より老朽廃車が始まった。
新2000系
更新編成 1990年代の2000系 登場時
N2000系とも呼ばれる
1988年より当時流行のブラックフェイスの導入、バランサー付き下降窓の採用、戸袋窓の新設など外観を一新。新宿線だけでなく池袋線にも多数投入され、輸送力増加に適応できなかった101系を徐々に駆逐していった。もっとも101系を完全に駆逐したのは西武6000系以降のステンレス・アルミ車の大量増備によるものである。
近年の老朽対策による更新工事によってベンチレータ撤去、内装更新、戸袋窓の埋め込みなどの外観に差異が出ているが、基本寸法は旧2000系と同じため、以外に違和感がない。
新宿線では今でも主力車両だが、高架・高速化された池袋線では性能が不足なためか、昼間時間帯では見かけることが少なくなっている。
9000系
新2000系同様の外観で製造された車輛であるが、101系の機器流用車であるが車籍は引きついでいない。鋼体製造は西武所沢工場によるものであり、最後の所沢工場落成車となった。一時的に新宿線に在籍していたこともあったが短期間で池袋線系統に集結している。
当初の101系流用機器でも性能的には2000系以上であったが、抵抗制御車の削減策によりVVVFインバーター化、6000系以降と足並みがそろうようになった。
近年は簡易戸袋窓閉塞、京浜急行塗装など編成ごとに差異がある状態となっている。