こうなる要因として“別に犯罪でもなければ状況的に仕方のない所もあるが、何かしら他人が不快に感じるような不興を買う行為を行った”とか“全体的に面白い作品だが、見てる人を選ぶような際どくて極端な描写がある”とか、あるいは“確かに良い所もあるがそれ以上に無視できない欠点がある”などが挙げられ、そういう要素があった人物および作品はこの賛否両論という評価になりやすい。
ただ両論とは言ってもその肯定論と否定論の比率が対等的かと言われればそうとも限らず、肯定意見が多数派であろうと否定意見の方が多数派であろうと賛否両論と言えてしまうかなり曖昧な定義であり、決して具体的な評価とは言い難い。そのため肯定意見を掲げるファンや否定意見を掲げるアンチにしてみればどちらにせよあまり受け入れられないと感じる言葉でもある。
もっとも個人の嗜好や主義という観点から見れば何事においてもこういう評価の分かれ方はよくあることだが、周りに大きな影響を与える人間や大勢の人間が関わっている人気コンテンツでこの手の議論が巻き起こると非常に荒れやすい傾向にある。
上記の通りどうとでも受け止められる言葉であるため、ファン傾向の人間に言わせれば“賛否両論=好きな人間だって少なからずいる”という擁護となったり、逆にアンチ傾向の人間に言わせれば“賛否両論=どっちにしろ否定されるべき問題があるもの”という理屈なったりと主張する側の人間によってその意味合いが微妙に変わることも珍しくない。