詳細はWikipedia:超大和型戦艦を参照のこと。
概要
大日本帝国海軍が計画した戦艦で、大和型戦艦の強化発展型に位置づけられる、建造計画では最後の戦艦。計画自体が消滅し、起工されなかった。
その艦型は、大和型をベースに51cm砲登載可能なように大型化する予定だったとされる。しかし、太平洋戦争開始による艦艇建造計画見直しにより潜水艦と航空機の生産が優先され、建造は中止となった。資材は雲龍型空母の建造に利用された。
建造計画
建造計画的としては、1930年代末期に構想され第五次補充計画によって計画された戦艦3隻の内の2隻、第798号艦及び第799号艦(あるいは799号艦のみ)である。
アメリカが46cm砲搭載の新型戦艦を建造することへの懸念から、更に大口径の51cm砲を搭載することが計画された。時間の都合上、完全な新規設計は見送られ、大和型戦艦の攻防力を中心に強化させた発展型となる。
最も大型の案では、基準排水量85,000t、満載排水量10万t以上、51cm砲3連装3基又は連装4基、速力30ノットというものがあったが、51cm三連装砲の設計・製造自体が困難であるだけでなく、搭載する場合、基準排水力が90,000tを超えると試算され、当時はドックや補給施設・港湾設備などの問題からも実現不可能であった。
重量削減のために連装砲が採用される事となり、当初は連装砲4基8門とされたが、基準排水量が85,000tに達すると試算され、この案も採用される事は無かった。
最終的には51cm砲連装3基を大和型より11,000t重い75,000t級の艦体に搭載し、速力は大和型と同じ27ktとするという案が艦政本部より提案され、基本計画番号としてA-150が与えられる事となった。
当時呉工廠で大和型戦艦4番艦の建造が開始されており、798号艦はその完成後呉工廠で、799号艦は大分県大神に工廠を新設して建造されることとなり、新ドックの完成は1947年頃と見積もりされていた。
超大和型の搭載砲塔の開発は1942年の段階で、組み立て直前まで進捗していたが、船体の設計は進んでいなかった。
計画が破棄されたため関連資料も殆ど残されておらず、合計4隻建造する計画だったという説、51cm砲搭載である都合上、排水量は大和型よりも2万トン以上大きくなるという説、時勢を鑑みて、対空能力と防御力を重視して副砲を搭載せず、対空用高角砲を増設する予定だったとする説など様々な説が存在している。高角砲自体も長10cm砲より危害半径に優れた五式12.7cm高角砲(八九式より長砲身)が搭載された可能性が存在する。
艦名
軍事評論家・伊藤正徳氏により、艦名は「紀伊」、「尾張」という説が唱えられ、その他、「紀伊」、「尾張」とする説もある。
しかし、超大和型の艦名に関する資料は存在せず、いずれも個人の推測によるもので、想像にすぎない。
詳細はWikipedia:超大和型戦艦を参照のこと。
創作物関連
架空戦記で戦局をひっくり返す超兵器として常連である。
モンスターストライクに擬人化したキャラが登場する。