天北線
てんぽくせん
北海道に存在し、国鉄→JR北海道が運営していた路線
概要
宗谷本線の音威子府駅から分岐し、中頓別町、浜頓別町、猿払村を経て南稚内駅で再び宗谷本線に合流した路線。
かつてはこちらが宗谷本線を名乗っており、この路線は1922年に稚内まで全通し、樺太への連絡鉄道として機能していた。
その後、1926年に現在の宗谷本線ルートとなる幌延経由の天塩線が開通し、そちらが宗谷本線となり、それまでのルートは北見線と改称され分離された。
そして1961年10月1日の白紙ダイヤ改正(サンロクトオ)の際に北見線は天北線へと改称される。
廃線に至った経緯
1980年に国鉄再建法が成立すると、その基準をもとに第2次特定地方交通線に指定されたが、冬季の代替輸送に問題があるということで、一時的に廃止は見送られる。しかしその後問題がなくなったということで、追加承認されてしまう。
そしてJR北海道へ継承された直後の1989年5月1日に全線廃止となった。
急行「天北」
1961年から札幌~稚内間をこの天北線経由で結んでいた急行である。
運行当初は気動車で運転していたが、1985年からは宗谷とともに14系客車に置き換えるという奇策を行い、天北線内は路線規格の関係でDE10が牽引した。(ただし、この当時は14系のほうが全車冷房つきで、客室のグレードは急行としてはこちらのほうが高かったという事情もある)また一部の列車は利尻との共通運用だったため、昼行特急ながら寝台車を連結していた。(寝台車はコンパートメントとしてグリーン席扱い、のちに自由席)
なお、運賃については音威子府~南稚内を途中下車しない場合は宗谷本線幌延経由で計算されていた。
最末期にはキハ400系で運転され、廃線まで運転されていた。優等列車が運行された状態で全線廃止となった路線は、国鉄・JRの歴史上当線が初めてである。