概要
1961年から極寒地向けに日本国有鉄道が投入した急行形気動車。
開発当時の北海道では蒸気機関車牽引の客車急行が主流であり、無煙化・高速化のため気動車の投入が必要であった。
しかし特殊な耐寒・耐雪設備が必要となる北海道向けの車両は潤沢には製造されず、常に車両不足に悩まされていた。
その中で1957年6月にキハ12を使用した準急「摩周」が運行されたのを皮切りに気動車準急の整備がすすめられたが、使用されていたのは全て普通列車用の気動車だった。
一方本州では1956年から準急用にキハ55系が製造され、準急列車のネットワークを構築する成果を挙げ、一部の急行列車にも投入されていた。
そこで北海道でも夏季限定でキハ55を使用する準急「アカシヤ」、急行「すずらん」などが運行された。いずれも冬季はキハ55を本州に返却し、「すずらん」に関してはキハ22で代替された。
キハ55系の好評から急行列車の気動車化の機運が高まり、急行用に設備グレードを高めたキハ58系が計画されるようになった。
しかし北海道の輸送事情は逼迫しており、本州向けのキハ58系よりも先に開発されることになった。
形式名がキハ58系より若番となっているのはこのためである。
設計の基本はキハ58系と同一だが、北海道の過酷な寒さに対応するために客室窓の小形化、二重窓化、床材をリノリウム張りから木の板張りに変更するなど、キハ21形で採用された耐寒設備が盛り込まれている。
1961年3月に落成した先行量産車は車体断面形状や前照灯の位置などにその後の増備車と差異がある。
キハ58系同様製造途上から前面窓が一部が曲面となった、キハ45系のようないわゆるパノラミックウインドウとなっている。
また、パノラミックウインドウ車両は冷房の搭載を見据えて屋根に熱交換器用の穴を設け、そこにふたをしておく「冷房準備車」となっていて、どちらかといえばキハ58系の中でも盛岡機関区に多数在籍していた1500番台に類似した車体となっていた。
キハ58系とは混結が可能で、落成時に慣らし運転を兼ねて千葉地区の海水浴臨に駆り出されたり(終了後北海道に発送)、逆に内地向けのキロ28が夏季に車両不足補充で貸し出されたうえで当系列に組み込まれたこともある。
1970年代の終わりに、北海道では2台エンジン搭載の両運転台車が存在しなかったため、キハ56に廃車の運転台を取り付けて両運転台化した「キハ53形500番台」が登場した(キハ53は本来はキハ45系の2エンジン車なので形式上は関連は無い。本州向けのキハ58にも同様に両運転台化改造されたものがあり、こちらはキハ53形200番台、キハ53形1000番台となっていた)。
形式群
形式 | 動力 | 備考 |
---|---|---|
キハ56 | DMH17H×2(360PS) | 2エンジン車で屋根上に水タンクを設置。 |
キハ27 | DMH17H×1(180PS) | 1エンジン車で床下に水タンクを設置。 |
キロ26 | DMH17H×1(180PS) | 4DQ-11P形エンジン+MD72形発電機搭載(43PS/70KVA)を搭載。 |
番台区分
0番台
1961年から1962年にかけて製造された初期型。キハ56形47両、キハ27形56両、キロ26形18両。
キロ26形は当初非冷房だったが、1964年から1968年にかけて冷房化された。
道内の気動車急行でグリーン車が連結されなくなったことからキロ26形は民営化前に廃車、キハ56形はキハ53形500番台に改造されたものを除き民営化前に廃車。
キハ27形のみ4両がJR北海道に継承され1989年まで運用された。
100番台
1963年から1967年にかけて製造。キハ58系同様電磁給排弁を付加し、ブレーキ制御弁と制御回路用ジャンパ連結器を増設することで長編成に対応したもの。
キハ56形51両、キハ27形29両、キロ26形7両。
キハ56 148は民営化後にセミクロスシート化され、普通列車用の塗装を纏う異端車となった。
キロ26形は初期3両が非冷房、後期4両は冷房準備車。いずれも1968年までに冷房化された。
キロ26形は1987年、キハ27形は1993年、キハ56形は2000年までに廃車。
200番台
1968年に製造された最終グループ。冷房準備工事が施されたが、夏が短く猛暑日の少ない北海道の気候条件もあって実際には搭載されることはなかった。キロ26形は当初より冷房を搭載。
外観上は前面のパノラミックウィンドウとスカートが特徴。
キハ56形14両、キハ27形17両、キロ26形3両。
キロ26形は「アルファコンチネンタルエクスプレス」に改造された車両を除き1988年、キハ27形は「ミッドナイト」用に改造された車両を除き1998年、キハ56形は2002年までに廃車。
キロ29/59形お座敷車「くつろぎ」
1973年にキハ27形3両を改造したお座敷列車。内装をお座敷にし、天井も屋形船のような船底型にした。
当初は国鉄急行色で窓下に淡緑色の帯を巻いただけの塗装だったが、1984年にキハ56形2両を改造し増備されるとクリーム色に赤帯を巻いた専用塗装に変更された。キロ59形はカラオケ・オーディオ設備・冷蔵庫を設置、天井は原型車両のまま木目化粧板、乗務員室後方の客用扉の閉鎖などに差異がある。
冷房化後は「ミッドナイト」仕様車と同一塗装に変更され、多客時の増結車やカーペットカーの代走に使用されたが、1999年までに全車廃車となった。
500番台
快速「ミッドナイト」用のドリームカー。1988年にキハ27形200番台2両を改造した。
座席間隔を広げ、バケットタイプのリクライニングシートに交換した。
550番台
快速「ミッドナイト」用のカーペットカー。
1988年から1990年にかけてキハ27形200番台4両を改造。座席を撤去しカーペット敷きにした。
1990年にはさらにキハ56形100番台2両を苗穂工場で改造。冷房化と乗務員室後方の客用扉の閉鎖、カーペットカーの増結車として運用された。
500番台・550番台ともに2002年までに全車廃車となった。
キハ53形500番台
1986年に苗穂工場・釧路車両所・五稜郭車両所でキハ56形10両を両運転台化したもの。
キハ53の記事を参照。
キハ59系「アルファコンチネンタルエクスプレス」
1985年にキハ56形200番台2両、キロ26形200番台1両を改造したジョイフルトレイン。
アルファコンチネンタルエクスプレスの記事を参照。
運用
1961年に登場した本車両は、札幌~釧路間の急行「狩勝」を皮切りに、道内各地を結ぶ急行列車に投入された。
中でも特筆すべきは上記の後期型の車両を使った特急「北斗」号の運用である。本来ダイヤ改正時に東北地区のキハ80系を転出させて充当する予定だったのが、キハ181系の製造の遅れで間に合わず、やむを得ず半年ほど代走させたものであった。特急料金は100円引きされたとされる。
その後は急行の特急格上げなどで仕事を追われ、普通列車に運用されたほか、一部はキハ53やお座敷車、ジョイフルトレイン「アルファコンチネンタルエクスプレス」に改造された。
1985年には札幌~函館間の夜行快速「ミッドナイト」号に充当するためにキハ27を改造した車両も登場。
そんな運用縮小の中でも、時には宗谷本線系統の急行(当時)「宗谷」号などの増結用としてキハ400系に混じって運用されたこともあった。
その後老朽化により、2002年までに全車両が廃車となった。
小樽市総合博物館にキハ27 11+キロ26 107+キハ56 23が、三笠鉄道記念館にキハ27 33+キロ26 104+キハ56 16が保存されているほか、岐阜県高山市奥飛騨温泉郷の「奥飛騨ガーデンホテル焼岳」ではキハ27 551と552を改造したカラオケルーム「カラオケ列車」が営業されている。
関連項目
キハ141系(台車を再利用)