浄土真宗
じょうどしんしゅう
概要
阿弥陀如来を本尊とし、極楽往生を目指す「浄土門」の宗派。開祖は法然門下出身の親鸞。
親鸞が非僧非俗の立場をとり、肉食妻帯を行った事から、伝統的に宗門トップを含めて妻帯をしている。この点近代以降に妻帯が広まった他宗派と異なる。
浄土真宗以外で、伝統的に僧侶の妻帯が認められてきたケースとしては修験道が存在する。
阿弥陀如来ただ一人を本尊とする姿勢が強く、浄土宗で行われる(阿弥陀如来以外の)仏菩薩や天部をお堂で祀る事をしない。
仏壇においても、一部門派を除いて、阿弥陀仏の脇侍である観世音菩薩と勢至菩薩を祀る事すらしない。
親鸞は師・法然を勢至菩薩の化身として慕い、彼が妻帯を行うきっかけは救世観音が夢に現れる神秘体験であるにも関わらずである。
(法然を勢至菩薩の化身とする見解は浄土宗にもあり、総本山「知恩院」には法然の本体としての勢至菩薩を祭る「勢至堂」もある。)
本尊としないだけで他の神仏も敬っており、天地の神々も念仏者を守る存在とみなしているが、彼らを拝むことはしない。
その力を「ご利益」として得る事は、後述する「自力」への拘りを生むとされる為である。
これを「神祇不拝」という。本来なら門徒が神棚を祀ることも宗旨に反する。
ただ他力(阿弥陀如来の力)を信じ、自力(個別の仏教徒の力)を相対化する結果、読経される経典は浄土三部経に限定され、浄土宗で唱えられる般若心経や観音経も唱えられない。
日本の仏教徒の間でも広く行われるおまじないや占いも迷信として廃している。
これらを見ると「浄土宗を発達させたものが浄土真宗」と感じる人もいると思われる。実際にこのような見解が教科書に書かれる事もある。
しかしながら浄土宗の宗門側が、高校教科書に対し、適切でないと批判したケースもある。
浄土教のコンセプトと、各祖師の見解に沿うのは何か、宗派・教団ごとそれぞれの選択が宗旨の違いであるといったほうが中立的と考えられる。
還浄について
例えばとある家の玄関に「還浄」と書かれた紙が貼られたのを見た事がないだろうか?実はこれ、いわゆる「忌中」を表すものであるが、浄土真宗の教学上「忌」が相応しくないとの考えがあり近年では「還浄(げんじょう)」に置き換える事が多くなっている。しかし、これは現在でも浄土真宗において議論されており、正式な用語ではないという。
意味としては「(死んだ人は)浄土に還る」であるがこれもまた議論の一つとなっている。