豊川と宇連川の合流する天然の断崖絶壁を利用した城。
本丸はこの断崖絶壁の真上にあった。
南はこの断崖絶壁で高い防御力を誇るが、北側は守りが薄いとされた。
1508年に菅沼氏によって築城された。
当初は徳川家康に従っていたが、信玄の三河侵攻で泣く泣く武田の傘下となった。
しかしその後、信玄が病死。
家康に攻められ落城。
以降は奥平氏が城主となった。
その後長篠の戦いの序盤である「長篠城の戦い」の舞台となる。
武田勝頼1万5千の軍を前にわずか500の兵で籠城戦を行った。
鳥居強右衛門の命がけの伝令などもあって徳川の援軍が来るまで持ちこたえることに成功した。
1576年、奥平氏は新城城を築き長篠城は廃城となった。
日本100名城に認定されている。