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新砲塔チハの編集履歴

2020-07-28 19:37:15 バージョン

新砲塔チハ

しんほうとうちは

新砲塔チハとは、大日本帝国陸軍が運用した九七式中戦車(47mm戦車砲搭載型)の一般的な通称の1つ。

当時の兵士からは「九七改」・「チハ車改」・「四十七ミリ(粍)」などの名称で呼ばれていた。


しかし、「新砲塔チハ」や「チハ改」は戦後に名付けられたものである。


概要

もともとは、新中戦車向けの試作砲塔のテストベッドであり、量産を企図したものではなかった。


使用された九七式中戦車の車体はこの砲塔を搭載するため、砲塔リングを僅かに拡大させるなどの回収が施された。(元々の砲塔リング径は1350mmほどで、拡大後は1400mm。ちなみにT-34/76は1420mm、バレンタイン歩兵戦車は1460mm。)


新砲塔チハの原形は太平洋戦争開始の1年前に当たる、1940年(昭和15年)には既に存在していたとされる。


量産化が決定したキッカケは、太平洋戦争の開戦直後に既存の戦車ではアメリカ軍戦車に対抗困難であるという報告を受けたことであった。


従来であれば戦車の火力強化は、(武装換装だけでも)開発から量産化迄に一年近い期間が必要になるのだが、

新砲塔チハが半年足らずのスピードで戦力化迄にこぎ着けたのはこのような偶然があったからである。

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