概要
「浄元虫」とも表記される幼虫の一種。
天正年間に近江国志賀郡別保村(現在の滋賀県大津市)で暮していたという南蛇井源太左衛門という人物が生まれ変わった姿だとされ、伝承によれば元々侍であった源太左衛門は「天正の兵乱」を切っ掛けに盗賊に身を落とし、数百人の部下を率いて諸国で殺人や強盗といった数々の悪事の限りを働いていた。
やがて年老いた源太左衛門は人の勧めで改心し、出家して常元(浄元)と改名すると、故郷の別保村で静かに暮らしていた。
しかし慶長5年(1600年)、過去に行った多数の悪行を問われて捕えられ、見せしめのために木に縛り付けられて見物人たちの前で罵詈雑言を吐きながら斬罪に処され、その遺体は木の根元へと埋葬された。
そして翌年の夏、常元の遺体が埋められた木の根元から、おびただしい数の虫が現れた。まるで人間が後ろ手に縛られたような姿をした不気味な虫たちはやがて羽化して飛び去って行ったが、その後も毎年必ず同じ姿の虫が現れるので、村人たちはその虫はきっと処刑された常元が生まれ変わった姿だと考えて“常元虫”とよび、因果の恐ろしさを噂しあったという。
また、常元が住んでいた土地は「常元屋敷」と呼ばれ、その土地に家を建てた者は必ず災いに遭うといわれ、誰もそこに住もうとする者はいなかったとされている。