藤本二三吉は、昭和5年「祇園小唄」を放った日本調の芸者歌手。
本名は藤本婦美で、浅草千束町一丁目生まれの生粋の江戸っ子。
6歳から常盤津を志しさらに長唄・清元・古曲と芸域の幅を広げた。
大正14年頃、日畜(日本コロムビアの前身)にスカウトされ、レコード芸者吉原〆治の良き後継者となった。
当初は姓なしの「二三吉」を名乗っており、葭町二三吉から「葭町」を取り、昭和6年4月かの新譜から、藤本二三吉を名乗った。
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ふじもとふみきち
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