概要
愛新覚羅 弘晝(弘昼)
(あいしんかくら こうちゅう・アイシンギョロ ホンジョウ)
清朝第5代皇帝「雍正帝」の第5子。生年は1711年説と1712年説がある。
次期皇帝の座を巡って第3子「弘時」と第4子「弘暦」と争う立場に立たされたが、弘晝は無能なふりをして後継者争いから逃れたとされる。
1733年に「和碩和親王」に任命された。
兄の弘暦が第6代皇帝「乾隆帝」として即位すると、和親王は内務府などの事務の管理を任された。
乾隆帝とは年の差が数か月しか離れてないためか仲が良かったとされる。
軍機大臣と喧嘩して殴りつけたり、生前葬を何度も行って周囲を困らせるなど問題行動が多く「荒唐王爷(バカ王子)」と呼ばれた。
1770年に病死。「恭」の諡号を授かり「和恭親王」となった。