概要
玄倉川の中洲でキャンプをしていた行楽客が、川の増水によって流された事件。
1999年8月13日、事故被害者の集団18名は、先の場所でバーベキュー等を楽しんでいた。しかしその頃、大雨の予報により川の上流にある玄倉ダムの放流が始まっていた。
その後は小康状態を保っていたものの、翌朝8時になって雨量が急激に上昇。それに伴う放水量の上昇もあって川に居たキャンパー達は続々と撤収を開始する。
事故犠牲者集団にもキャンパーは警告は出していたが、集団はそれを聞かず中洲から最後まで撤収しなかった。
その後、わずか30分で川は普段の推進より85cmも高い100cmに達し、集団は自力で岸に戻ることが困難となっていた。
通報を受けて救助隊が駆けつけたものの、中洲という位置もあって救出は困難を極めた。集団は中洲の一番高いところに立ち、必死に激流に耐えていた。この時男性数人が流れの壁になり、力の弱い子供や女性を守るようにして囲んでいたという。
救助隊の必死の努力も虚しく、11時38分頃に一団は激流に流されてしまう。テレビ取材も行われていたこともあり、流されていく一部始終も映しだされたことから、日本中に衝撃を与えた。救助されたのは5人で、残りの13名は行方不明となった。後日、丹沢湖で行方不明者全員分の遺体が発見された。
この事件を教訓とし、気象庁台風や熱帯低気圧の勢いを表現するにあたり「弱い」「小型」といった過小評価を表現をしないよう改められた。
現在でも事故現場でのキャンプは可能であり、キャンパーがしばしば訪れるという。事件を受けて、現場では多数の注意書きや看板が設置されている。事故現場は平時であればとても水難事故が起こることを予測できるような水位ではない程に穏やかである。