1968年10月30日、岐阜県出身のA型。
94年に黒夢のボーカルとしてデビュー。
シルバーアクセサリーやTシャツのデザインを手掛ける事も多く、そのセンスの良さに定評がある。一時代にはクロムハーツにラバーソールに代表されるスタイルでファッションリーダーとして"清春チルドレン"を排出した。
自ら立ち上げたファッションブランドを多数持っている。
一見すると一匹狼のような暗い印象を受けるが、トークでは結構ノリノリ。
98年に結婚し、二人の娘を溺愛しているという意外に親バカな一面もある。
彼を尊敬するミュージシャンが非常に多い事や、彼と同期の歌手も多い事から他のミュージシャンと比べても異常なまでに広い交遊関係を持つ。
交流はL'Arc-en-Cielや西川貴教、キリトといったロックジャンルの歌手もいれば、ロックともレコード会社とも接点がなさそうなDA_PUMPなどもいる。
ヘビースモーカーである。
黒夢時代
「BEAMS」や「Like@Angel」などのヒットを飛ばし、アルバムもデビューわずか一年目でオリコンチャート1位を獲得した。
メディア出演も積極的だったが、活動がライブ重視になってからはTVで自身の作品の宣伝で出演する事はあっても音楽番組で曲を披露する事は一切なかった。
そんな中でも「少年」が自身最大のヒットを記録するなど勢いはとどまる事を知らなかった。
しかし99年1月29日に人気絶頂期の中、突然活動停止を発表。2月に発売されたベストアルバムは自身最大の売り上げを記録した。
およそ半年後にSADSを結成するが、10年近く黒夢の今後については音沙汰がなかった。
SADS(Sads)時代
99年7月にデビュー。バンドの初お披露目はロンドンからの中継によるものだった。
また、しばらく控えていた音楽番組の出演も再び積極的になった。
黒夢の頃の勢いそのままにヒットを飛ばすが、一方でメンバー同士での確執も多く何度もメンバーチェンジが行われた。
そして2003年に活動停止、ソロ活動へ移行する。
黒夢の正式解散
2003年からおよそ5年間ソロ活動をやっていた清春氏だが、2008年に40歳になった日のライブにて「終わりにしたいことがある」と発言。
その内容は活動停止から丁度10年後の2009年1月29日、一夜限りの再結成をし黒夢を正式に解散させる事だった。
当然このライブのチケットは瞬く間に売り切れ、黒夢は終わりを迎えたはずだった。
両バンドの活動再開
黒夢を解散させた後、昔から交流のあった音楽編集者が突然の急死。
この編集者はSadsの大ファンで僅かながらでも再結成を望んでいた。
また、彼が尊敬するMORRIEがDEAD ENDを再結成。
元々「再結成は茶番」だと発言していた清春氏だったが、DEAD ENDの再結成ライブを見て自身の概念が覆るほどの感銘を受ける。
その時の思いは2009年12月の雑誌でのMORRIE氏との対談で語られている。
そしてこの二つの出来事から2010年1月29日、ソロ、黒夢、Sadsの3方面で活動再開することを発表した。
メディアでは全く過程が述べられる事のないままの発表だったため、ファンの混乱も招いた。
Sads活動再開の皮切りは同年5月に行われた武道館ライブで、7月に新作もリリースされた。
黒夢の方は未定。