多くのフォロワーを生み出したヴィジュアル系の異端児。
1994年2月9日、「for dear」でメジャーデビュー。
当時の周辺バンドは英語やフランス語系が多く(特に「ラ行」のバンドが多かった)清春が「絶対漢字がいい」ということで付けられた。黒夢は「夢が無い」「夢は叶わない」という意味。
1999年1月29日から無期限活動停止。
その10年目となる2009年1月29日に一夜限りの復活、同日に解散した。
しかし2010年1月29日、清春が自身のブログで活動再開を表明した。
当時の邦楽ロック界では声を掠れさせて力強く歌う(初期のXやLUNASEAのような)歌い方が主流であったが、ビブラートを効かせた繊細な声にファルセットやシャウトを効果的に取り入れる歌い方で人気を集め、後のヴィジュアル系バンドの歌い方の主流を創った。
また耽美系とは違った、陰鬱で攻撃的な精神世界を歌う路線としてのヴィジュアル系バンドの走りでもある。
バンド自体は80年代の日本のパンク、ハードコア、アンダーグラウンド・ロックに影響を受けており、雑誌のインタビューではDEAD END、GASTUNK、THE WILLARD、INU等や、トランス・レコード(FOOL'S MATEの創始者である北村昌士の運営していたインディーズレーベル)の所属バンドに影響されていると発言していた。
しかし、自身は後発組のバンドにスタイルを真似される事を嫌い、途中からヴィジュアル系の路線から大きく方向転換し、作品発表ごとに異なる構成、曲調をとり変化してゆきながら年間100本以上のツアーをこなしていた。
後期には90年代の日本のロックの王道ともいえるBLANKEY JET CITYやthee michelle gun elephantとも比較されるようになり、パンク路線に変更した清春のファッションが若者の支持を受け、渋谷系をもじった渋谷パンクともよばれるようになる。
一度は清春曰く『商業主義のポップス路線』に進んだこともあり、後の歌で昔の自分を貶したりもした(後に雑誌上で、『垂れ流しのポップスは僕の敵』とさえ語っている)。
またアルバム『FAKE STAR』以後によく見られた社会やレコード業界、ミュージシャンを痛烈に風刺した歌詞も人気だった。また、所属レコード会社・東芝EMIに対しても、「カマキリ」で強烈に皮肉っている。
とはいえ黒夢は数々のヴィジュアル系ミュージシャンから敬愛されており、インディーズ当初は化粧も音楽性もヴィジュアル系であったため、1999年に活動停止した後もヴィジュアル系の代表格として君臨し続けている。
90年代末期には特に精力的なライブ活動を行っており、数十本を越えるツアーも
行っていたが、結果的にこれがメンバー間の不和(家庭を重視したかった人時の離反)を招き、
活動停止に繋がった。その後9年を経由して清春と人時の和解が成立、
活動停止宣言してから10年後の2009年に正式な解散ライブを決行。その後2010年には再結成を宣言。2011年からライブ活動、音源発売を始め本格的な再始動を始めた。
(wikipediaより引用)