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順治帝

じゅんちてい

世祖皇帝 清朝第三代皇帝 法名は行痴 号は痴道人、太和主人。この皇帝より「北京」が大清国の中心になる、早逝なので5台山へ出家した伝説がある(暗殺されたのかも) 即位5歳 皇帝親政13歳 享年25

皇帝親政13歳

順治帝じゅんちてい

  • 世没 明の崇禎11年/後金の崇徳3年 1月30日(1638年3月15日) - 順治18年正月7日(1661年2月5日)
  • 清朝第3代皇帝(在位1643年10月8日 - 1661年2月5日)
  • 姓名は愛新覚羅福臨(アイシンギョロ・フリン)

職掌

職掌
王朝
在位期間 1643年10月8日 - 1661年2月5日
姓・諱愛新覚羅福臨(アイシンギョロ・フリン)
諡号体天隆運定統建極英睿欽文顕武大徳弘功至仁純孝章皇帝
廟号世祖
生年1638年3月15日(崇徳3年1月30日9日)
没年1661年2月5日(順治18年正月7日)
皇太極
孝荘文皇后
陵墓孝陵
年号順治:1644年 - 1661年

概要

太宗が崩ずると、帝位についた。 5(6)歳で即位

叔父の鄭親王ジルガラン・睿親王ドルゴンを輔政王とし、国政を総理させた。順治元年(1644)

呉三桂の先導により清軍が入関して北京を落とすと、北京に遷都した。ドルゴンが独裁を確立し、帝はその傀儡となった。このころ薙髪令を出して、漢人に弁髪を強要した。二年(1645)

予親王ドドに南征させて揚州を屠り、南京を落とした。福建に朱聿鍵を殺し、広州に朱聿鍔を滅ぼした。

八年(1651)、ドルゴンが病没すると帝は親政を開始し、ドルゴンの生前の罪を問うてその官爵を剥奪し、英親王アジゲを自殺させた。

漢人官僚を重用し、吏治を整え、開墾を奨励し、『賦役全書』を編纂させた。西南に呉三桂を派遣して南明の永暦政権を討たせた。

帝ははじめキリスト教を信じてアダム・シャールを尊崇した。

のちに仏教に傾倒し、高僧の玉林琇・木陳忞らを尊んだ。十七年(1660)、愛妃の棟鄂氏が病死すると出家しようとしたが群臣に止められた。

翌年、病のため養心殿で崩じた。 享年25(4)歳

5台山へ出家した伝説がある(暗殺されたのかも)

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順治帝の編集履歴2012/02/24 12:49:42 版