『なとなと』(2007年~)とは
個人のサイト掲載小説・イラストおよび関連する日本の【アンチ恋愛系】またはハートフルボッコ系作品である。作者はたくひあい。当初ジャンルはサイコホラーだが、難解さなどからミステリーにするむきもある。ドグラ・マグラ的に奇書を目指していたとか。幼馴染みの夏々都とまつりが、かつて起きた一家惨殺事件の手がかりを探しながら出会う人たちの抱える謎を解いたりあえて解かなかったりする。
タイトルは、事件に巻き込まれる前の幼いまつりが、夏々都をなぜかうまく発音できずなとなと、と呼び続けたことから。元気だった幼い頃のまつりを暗示させる、それなりに作中の重要ワードとなっている。ちなみに八重沢なとりの愛称も同じ名前ではあるが、呼称としてはこの小説の方が先なので注意。
※事件後、まつりは事件に関連するものを忘れようと暗示をかけてしまうようになる他、ときどき精神年齢、状態が10歳程に戻る。
【アンチ恋愛観】
作者が訳あって壮絶な人間不信の為、記憶が続かなければ恋愛は生まれないではないか、そもそも人間関係に恋愛というものが本当にあるのかという思考実験のようなものを考え始め、そういった立ち位置の設定に注力してうまれた。
そのためこの作品に置いてのアンチ恋愛観というのは、【恋愛とは記憶力と認識が双方に合致して居なければ起こり得ない共有感情に過ぎない】という前提を基準にしている。
主人公たちの『記憶が繋がらない関係は恋愛ではないし恋人ではないが一番仲の良い二人』という奇妙なジレンマと皮肉の効いた親密な関係、及び何でも恋愛と呼びたがる人たちはその中身が何か知っているのだろうかという哲学的な問いを含んでの皮肉である。
まつりは仲良くなったりして事件当初を過度に越える人間関係情報を更新すると記憶が繋がってしまうため、仲の良い夏々都と恋愛関係になることが出来ないし出来ても数時間で発作が起き、記憶を消去してしまう。(けもフレ2のかばんちゃんの設定になぜか被せられる遠回しな被害)
この設定は後述する虐待由来の理由もあると思われる。作者にとってこの瞬間と関係性の持つ概念的な変容は重要な作中要素であり、熱心なヲタクである田中(仮名)らがなとなとをモデルにした『恋愛作品』及びその描写にショックを受けていた。逃げるは恥だが役に立つ
・実際の事件と作者自身の虐待話を組み合わせて書かれた。天才描写や心理風景描写に力を入れている。わかる人にはわかる虐待描写にいろんな意味の定評がある。
・たくひあい曰く『キャラクターの性別を固定してないのも、安易なBLGLの括りにいれたくなかったからで、まつりが上着を必要以上に脱がないなどR18にも配慮。当時の、恋愛ものを憎む気持ちが作り上げたものばかり。極めつけに記憶も保てない(元ネタは作者)というのをすべて萌えに昇華したのがなとなとの始まり』設定を踏まえた上で恋愛ごっこをする皮肉な状況が起きてしまう
備考
『ひぐらしのなく頃に』にネタが無断採用されたことなどで、虐待は嘘と言えという脅迫が起きていたりする。またアーチャリーがネタではないか、という作者への凸撃が起きていたり、虐待のモデルとなった人物を呼びつけて脅迫に加わらせた。
なお作者とオウム真理教には関係がない。
アニメ『K』の盗用、『ブラックラグーン』のOVA化するなど意味わからんことが起きた。
■未完成な愛をぐっと振りかざして
ある事情から筆が速いことで有名な西尾維新と混同された他、西尾自身も作中ににおわせる内容を執筆した為、西尾維新のサイトと間違われた経緯がある。『掟上今日子の備忘録』はこの作品を模したり作者の関連のコピーペーストから成っている。
この『掟上今日子の備忘録』里井先生という人物が登場するが、ひぐらしの聡子との関係は不明。
「……それに、クラウドのアカウント」
「アイデア帳をそこに保存してあるんだとすれば』
(掟上今日子の備忘録より)
※↑?
ちなみに西尾氏を推していたO田氏と関連があるのかは不明だが、太田紫織の『櫻子さんの足下には死体が埋まっている』にも揶揄するような記述、設定が多く見られる。
なお太田氏はエブリスタでのアカウントを削除している。