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Mk.Ⅰの編集履歴

2012-04-07 12:22:59 バージョン

Mk.Ⅰ

まーくわん

イギリス海軍が第一次世界大戦時に使用した世界で最初の量産戦車

概要

世界で最初に開発された戦車である。


開発経緯

第一次世界大戦中の西部戦線における、塹壕機関銃の圧倒的優位が確立されていく中でイギリス陸軍のアーネスト・スウィントン中佐は、アメリカのホルト社(現:キャタピラー社)が実用化に成功した無限軌道(キャタピラ)トラクターをヒントに、これに装甲を施した戦闘室を搭載した戦闘車輌を着想する。この発案は陸軍では却下されてしまうが、海軍が関心を持ち、設計をウィリアム・トリットン、ウォルター・ゴードン・ウィルソンが担当し、製造はウィリアム・フォスター社が行い超壕兵器「陸上軍艦」の開発が始まった。


試作車両そして量産

1915年にリトル・ウィリーの試作を経て、1916年にビッグ・ウィリーが公開試験に成功。40輌(すぐに100輌へ増加)の量産化が決定し、『Mark I』との正式名称が与えられた。


初陣

ソンムの戦いにおける第3次攻勢にて初めて戦闘に投入された。三個戦車中隊の計60輌のマークIが投入を予定していたが、輸送時のトラブルや移動中の故障から脱落する車輌が相次ぎ、攻撃開始地点にたどり着いたのは32輌のみと、半数にまで減っていた。また、前進を開始するとエンジントラブルや砲弾孔に落ちて破損するなどの問題が発生し、従来の作戦通り歩兵を先導して敵陣地に突撃できたのはわずか9輌だけだった。

だが、有効な対抗兵器を持たない前線のドイツ軍兵士は、鉄条網を超えて進んでくる謎の新兵器にパニックに陥った。この日の戦いで、イギリス軍は目標としていたフレール一帯の丘陵地帯の占領に成功する。

それでも、長大な戦線からすれば、投入した車輌の数の少なさから効果は一部に留まってしまい、何より戦車の信頼性の低さが問題となった。だが、戦車という兵器の研究・開発は各国で進められることになる。


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