概要
曹操は、若くして機知・権謀に富んだが、放蕩を好み素行を治めなかったため世評は芳しくなかった。
ただ太尉の橋玄は「天下は乱れようとしており、当代一の才の持主でなければ救う事はできない。天下をよく安んずるのは君である」などと曹操を高く評価した。
また、橋玄が紹介した月旦評で有名な後漢の人物鑑定家の許子将(許劭)は、「子治世之能臣亂世之奸雄(貴方は治まった世では有能な役人だが、乱世となれば狡いことをして利益を得る奸雄(姦雄)だ)」、または「君清平之奸賊亂世之英雄(君は平和な世の中では大泥棒だが、乱世となれば英雄だ)」と評した。曹操はこの話を聞いた後に、大笑いした(大喜びではないことに注意)。
歴史学者の易中天は、曹操が大笑いした理由について3つの可能性を挙げている。
第1は「俺がどうしてそんな大仰なものになるだろう、ばかばかしい」と嘲笑した可能性。
第2は「能臣になれるならよし、悪くとも奸雄になれるなら上出来だ」と喜んだ可能性。
第3は「俺は治世でも出世できるし、天下を乱しても天下を治める能力がある、これは天下の大器だ」と自画自賛した可能性。
曹操の性格とその後の人生を見ると、第2と第3の可能性が高い。いずれにしても、彼は思うがままに生きることを望んだ男で、世人に何と呼ばれようが、気にも留めなかったのであるが。
曹操は後に橋玄を祀り、かつての恩義に報いた。