大江健三郎
おおえけんざぶろう
大江健三郎とは日本の小説家。愛媛県大瀬村(今の内子町で、古くから木蝋で栄えた)出身。
概要
東京大学文学部卒。在学中に執筆した『死者の奢り』が芥川賞候補となり、文壇の注目を浴び、同年に『飼育』で芥川賞受賞。その後、伊丹十三の妹と結婚、長男と長女が生まれるが、長男は障害があった。日本人史上2人目のノーベル賞文学賞受賞者であり、受賞時はニュースでも採り上げられ、社会現象となるほど世間の話題になった。
また、自身の息子(作曲家の大江光)が発達障害を持っていた上に難手術も経験しており、夫婦でその苦難を克服できたとともに、世界観や人生観が大きく変わったことを何度も私小説に採り上げたりしている。
ノーベル賞受賞理由
日本固有の民俗や風土への描写が卓抜していたことが受賞の最たる理由であり、川端康成がジャポニズムを想起させる抽象的な抒情、叙景表現を評価されたのに対し、大江が評価されたのは豊富で緻密な歴史、文化、民俗の知識に裏付けされた叙景、叙事表現であり、失われつつあった古き日本を採り上げていたことが大きい。
ただ、70年代には広島へ何度も出向き原水爆廃絶運動に参加していたことで、マスコミらも、ノーベル賞文学賞受賞時に、そのわかりやすい部分を盛んに表に出したため、なぜか世間からは平和活動に基づいた文学作品が評価されて、ノーベル賞を受賞した小説家という根本的な間違いを生み出してしまっていたりする。
世間で評価されるまで
大江は優れた文学作品に贈られる谷崎潤一郎賞を史上最年少で受賞している(受賞作品があの有名な『万延元年のフットボール』)ほか、芥川賞も当時史上最年少で受賞している(二度目の挑戦であり、デビュー作は開高健の『裸の王様』が受賞し、惜しくも受賞を逃した)など若い頃から文壇の寵児として知られている。また、野間文芸賞、読売文学賞なども受賞しており、文芸評論家や純文学愛好家から高い評価を受けていた。
ただ、彼の作品はかなり文章表現が難解(特に同じ受賞者の川端康成と比較しても、元の文章の晦渋さが際立つ上に、登場人物設定はかなりいい加減)なので、世間からはとっつきにくさがあったのも事実で、大江と同年代で活躍した北杜夫のどくとるマンボウシリーズ(この印税だけで都内に新築を買ったほど)などのように、大ベストセラーと呼ばれる作品は存在しない。『万延元年のフットボール』のほかに『同時代ゲーム』、など代表作は数多くあるが、どれも内容が難解だったりしており、同一コンセプトのまま、もっと内容を簡明にした作品も何度も作ったりしている。
なので、受賞までは知る人ぞ知る小説家でもあり、ノーベル賞文学賞を受賞してから世間への知名度が上がり、再度大きく売れ出した人物でもある。その際に評価基準となった作品が『万延元年のフットボール』と発表当初は世間であまり売れなかった『M/Tと森のフシギの物語』であり、特に後者はノーベル賞受賞がきっかけで売れ始め、他社からも文庫版が出版されるほどになった。
ちなみに、2023年2月現在も御存命である。
代表作
近年は講談社文芸文庫が復刊にを入れている。
- 万延元年のフットボール 史上最年少谷崎潤一郎賞受賞作にして代表作。
- 同時代ゲーム 大江文学の難解さ、晦渋さを示しているともいわれている。本人曰くコンセプトを同じくして、それを簡明にしたのが『M/Tと森のフシギの物語』
- 洪水はわが魂に及び
- ピンチランナー調書
- 人生の親戚
- 雨の木(レイン・ツリー)を聴く女たち 読売文学賞受賞。
- 燃えあがる緑の木 発表中に受賞。またオウム事件を予言した作品として世間の注目を浴びた
- M/Tと森のフシギの物語 ノーベル賞受賞の評価基準となった作品。世界で大江文学といえば、まずこれが出てくるというほど。
など多数。
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