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開高健(かいこうたけし)は戦後を代表する小説家の一人。代表作に『輝ける闇』など。本名は「たけし」だが、ペンネームとして「かいこうけん」と名乗っていたこともある。


概要編集

大阪市天王寺区出身。大阪市立大学在学中に文学に目覚め、谷崎潤一郎主宰の同人に参加していた。大学に籍を置きながらアルバイトに明け暮れ、卒業後もパン工場など職場を転々としていたが、壽屋(現:サントリー)勤務の女性(後の妻となる詩人の牧羊子)と結婚。妻が育児退社するとともに、代わりに文筆の能力を買われて同社に中途採用され、ある程度実績を得ると東京支店に転勤となった。


そこで文才を遺憾なく発揮し、宣伝部の広報担当として大活躍を遂げる。コピーライターとしてトリスウイスキーの「人間らしくやりたいナ」など、能力を遺憾なく発揮し、しかも入社中に『裸の王様』が芥川賞を受賞するなど、その文才を花咲かせ、受賞直後に会社をやめて小説家となるとともに、サン・アドという広告代理店を共同で立ち上げた。


その後は共産党系の雑誌「新日本文学」に掲載された『パニック』が批評家から絶賛されるとともにヒットし、更に『巨人と玩具』では映画もヒットしたことで、大きくその名が売れていくことになる。だが、本人は遅筆だったことで商業小説家には向かず、時の人となった割に連載作品は少なめであった。


後に朝日新聞の臨時特派員としてベトナム戦争の最前線を取材し、そこで大きく人生に影響を受け代表作となる『輝ける闇』を執筆。小説家として評価されるとともに、世論や病魔に翻弄されエッセイストとして新たな道を歩むようになった。その後は闇シリーズとして三部作を作っている最中、急激に小説の執筆意欲が衰えかと思うと病魔に侵され、58才の若さで都内病院にて死去。


作風編集

大江健三郎北杜夫中上健次らと並び、戦後を代表する、文学史にも名を採り上げられることが多い小説家である。それでありながら、サントリー勤務での社会人経験を生かし、それまでの文学作品には稀薄だった資本主義、経済観念、マーケティングの知識が遺憾なく文章に発揮されているなど、純文学作家でありながら、サスペンス小説家を思わせるようなシビアで写実的な作風が特色で、今もなお熱心なファンも多い。また、エッセイストとしても地位を高め、週刊プレイボーイでは人生相談のコーナーも持っていた。


また、若い頃は大岡昇平も読んだりと海外に大きく関心が向いていた。また、小説家になってからは中島敦を高く評価しており、世間で中島の知名度を高めた一人でもある。そのため戦記文学を書きたいがために、わざわざ現地へ赴いたりしている。ただ、ベトナム戦争に大きな影響を受け一時的に抱いた反戦的な思想も、周囲の過激化する左派の思想についていけず、結局は保守的な立場に戻った(彼としては中立的な立場で訴えようとしたのに、周りから都合の良い政治の道具にされてしまった)。


それどころか、その政治活動がきっかけで元々人間不信でもあった部分が悪化し、鬱病を発症、神経系も冒されるほどの重症だった。そんな中きっかけを得て出向いたアラスカの自然に感銘を受け、釣り好きも相俟って世界中を旅するようになる。この頃はあまり小説は執筆せず、釣りをベースにした紀行文やエッセーがメインとなっている。鬱病を克服してから、再度小説の執筆を始め、輝ける闇の続編、『夏の闇』や晩年には『耳の物語』といった自叙伝に近い私小説を著した。


趣味編集

大の釣り好きとして有名であり、『オーパ!』はブラジルのアマゾン川流域を訪問したときに書き留めた写真付きのエッセーであるほか、何冊も釣りや釣り紀行に関する書籍がある。


また、大の美食家でもあり酒を初め、高級食材から海外料理、郷土料理から果てはゲテモノ食いまで幅広く手を出した。サントリーローヤル、サントリーオールドのCM出演歴もある。そのため、食の描写においてもかなりのこだわりが見られる(その緻密さは、とにかく他の作家の追随を許さないほどであり、紋切り型の美味しい、美味いという言葉を自分から一切使わずに、対象の美味さを表現することに人一倍こだわりを見せていた)。ただし、カフェインアレルギーだったために、コーヒーとお茶に関しては全くの門外漢だった(『オーパ!』より。ブラジルのコーヒーは大丈夫だったので流石本場と感動したが、実はブラジルの庶民が飲むコーヒーは不純物入りの安物だったという)。


なお、幼少の頃は父親の病死、戦前戦後の混乱も相俟って貧しい暮らしを強いられており、彼が美食家になったのはその反動でもある(結婚前にパン工場など食品関係の仕事に興味を持っていたのも、中学生の時にクラスメートからパンの施しを受けたのがきっかけだと『輝ける闇』に著されている)。


余談編集

遅筆としても知られ、それを語るエピソードとして講談社の「群像」へ入稿する予定だった小説を、間に合わないから文藝春秋の「文學界」にその場しのぎで載せてしまい、以後20年近く講談社から関係を断絶されることになる。


それでプレイボーイの人生相談コーナー掲載中に投稿者から「書いた?書けん!」(開高健をかいたかけんとわざと読んでもじったもので、開高と編集のやりとり)と揶揄されたが、本人がそれをやたら気に入り、何度もサインのネタにしていたほど。


語学にも長けており、通訳や翻訳をこなしていた大岡昇平ほどではないにしろかなりのマルチリンガルでもあった(文藝春秋にいた担当によると、とにかく耳がいい人だったという)。英語、フランス語、ベトナム語のほか、ロシア語、中国語も普通に現地の人と会話できる程度には喋れていた(海外特派員になれたのも語学達者だったお陰)。


代表作編集

  • 輝ける闇 ベトナム戦争をルポして書いたもの。開高の最高傑作の呼び名も高い。その後のベトナム文化を描いた『夏の闇』、そして『花終わる闇』へと続く予定であったが、創作意欲の衰えと直後の病魔により未完に終わる。
  • 裸の王様 芥川賞受賞作。この時に賞を競った作品が大江健三郎の『死者の奢り』だったことで、大江・開高時代の幕開けともいわれた。
  • 耳の物語 子供の頃から学生に至るまでの自伝。
  • パニック 開高が世間で売れるきっかけとなった短編作品。レミングの習性といわれた都市伝説を元にした社会風刺作品。
  • 巨人と玩具 マーケティングの光と闇を余すことなく描いた傑作。映画化され、その年の興行収入10位に入るなど大ヒットし、小説も大きく売れた。
  • 日本三文オペラ 地元大阪にあった貧民窟(俗にいうアパッチ)を現地取材し、徹底した客観的視線で書き通した作品。後にアレンジを加えミュージカル化された。
  • 新しい天体 開高の美食っぷりが存分に発揮された作品。明石焼きや松阪牛を全国区にした和田金のほか、四谷にあった伝説の小料理屋「丸梅」や高級フルーツの先駆といえる初平の桃(岡山市)なども登場する。
  • オーパ! アマゾンでの釣り体験を書き綴ったエッセー。人気作となり、舞台を他に移した続編も出版された。

など


関連リンク編集

大岡昇平 サントリー ベトナム戦争 芥川賞 釣り

山口瞳 サントリー宣伝部の同僚だったらしい

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