概要
日露関係(にちろかんけい、英語:Japan–Russia relations、ロシア語:Российско-японские отношения)は、日本とロシアの国際関係の事である。両国はロシア人の極東進出・日本人の北方開拓の結果、隣国として基本的には敵対しながらも、密接な国際関係を結びつつ歩んできた。
両国の比較
国名 | 政体 | 現在の首脳 | 国土 | 人口 |
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日本 | 議院内閣制 立憲君主国 | 岸田文雄 | 37万7976平方キロメートル | 1億2614万6099人(2020年10月) |
ロシア連邦 | 半大統領制 連邦共和国 | ウラジーミル・プーチン | 1712万5191平方キロメートル | 1億4718万2123人(2021年10月) |
歴史
ロシア帝国
1855年2月に外交関係を樹立し、1871年1月にエフゲニー・カルロヴィッチ・ビューツォフが最初の駐日大使となった。1891年3月にロシアはシベリア横断鉄道の建設を開始し、これによって初めてシベリアと隣接する地域へのアクセスが容易になった。1916年10月にアムール川を横切る鉄橋が完成し、これで鉄道は全線開通した。両国は満州と朝鮮の支配権を争い、1904年2月に発生した日露戦争では日本が勝利した。1905年9月に日露戦争が終結すると、その後は友好関係に戻った。
ソビエト連邦
1918年5月にロシア内戦が発生し、日本はこれに介入して極東ロシアとシベリアに軍部隊を派遣した。1932年3月に日本とソ連との間で国境紛争が発生し、1941年4月に両国は日ソ中立条約を締結した。1945年8月にソ連は中立条約を破棄して日本に宣戦布告したが、日本の傀儡国である満州国に侵攻し、日本のすぐ北にある千島列島を占領した。両国は1956年10月に日ソ共同宣言を締結して正式に外交関係を回復させたが、未だに千島列島の領有権をめぐる紛争は未解決のままでいる。
1973年10月に田中角栄はレオニード・ブレジネフの招きでソ連を公式訪問し、日ソ首脳会談が開催された。この会談で発表された共同声明で、「第二次大戦の時からの未解決の諸問題を解決して平和条約を締結する事が、両国間の真の善隣友好関係の確立に寄与する事を認識し、平和条約の内容に関する諸問題について交渉した。」と明記された。ブレジネフは北方4島の問題が、戦後の未解決の諸問題の中に含まれる事を口頭で確認した。
1985年3月にミハイル・ゴルバチョフ政権が発足すると、同年7月に外相はグロムイコからシェワルナゼに交代した。ゴルバチョフの時代に実施されたソ連の政策の変更は、国内改革の試み・アメリカと西ヨーロッパとの緊張緩和の追求を含めて一般的に日本の好意的な関心を引き出したが、日本政府は「モスクワはその方針を変更していない。」と主張した。
ロシア連邦
2014年3月にロシアはクリミアを併合し、同月に日本はロシアに対する制裁措置を実施した。それにも係わらず、日本はロシアとの関与を継続した。2016年3月に全ロシア世論研究センターが、日本の外務省の依頼を受けて調査を実施した。同年9月にこの調査の結果が発表され、ロシア人の78パーセントが日本とは友好関係にあると考えて重視しており、両国の友好関係を「重要」・「どちらかと言えば重要」と答えたロシア人は97パーセントいた。
2022年2月にロシアがウクライナに対する軍事侵攻を実行し、これを受けて日本はロシアに対して制裁措置を実施した。両国はそれぞれ多数の外交官を追放し、ロシアは北方領土問題の解決を含む日本との和平交渉を中止した。同年3月に日本はロシアの最恵国待遇を剥奪し、この地位の剥奪は日本に対するロシアの輸入が、より高い関税の対象となるという事実に繋がる。
経済
2011年5月にロスネフチは、両国の合弁会社を2社設立する意向を発表した。その内の1つはオホーツク海の棚にある「マガダン1」・「マガダン2」・「マガダン3」のエリアを開発し、2つ目は東シベリアで地質調査を実施する。同年6月にロシアが日本に対して、千島列島地域に位置する油田・ガス田の共同開発を提案している事が明らかになった。
2013年5月に国際石油開発帝石とロスネフチが、マガダン沖合での油田の共同開発で基本合意した。1995年6月のサハリン1以来18年ぶりにロシアと資源の共同開発を開始し、開発するのはマガダン州の沖合50キロメートルから150キロメートルのマガダン2・3の鉱区で、日本側が権益の3分の1を取得する見込みである。政府は石油天然ガス・金属鉱物資源機構を通じて開発を支援する方針で、イーゴリ・セーチン社長が経済産業省を訪問して合意文書を締結した。