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概要編集

アンドレイ・アンドレーエヴィチ・グロムイコ(ロシア語:Андре́й Андре́евич Громы́ко、ラテン文字表記の例:Andrei Andreevich Gromyko、1909年7月18日 – 1989年7月2日)は、ソビエト連邦の政治家、外交官。第7代ソビエト連邦外務大臣。ミスター・ニエットの異名で知られた。


経歴編集

1909年7月18日にロシア帝国白ロシアのホメリ州に誕生した。1931年に共産党に入党し、1932年にミンスク農業大学を卒業する。


1939年に外務人民委員部(外務省)に入る。1944年8月のダンバートン・オークス会議、1945年2月のヤルタ会談などの歴史的な国際会議に出席し、特にアメリカとの関係強化に動いた。1946年4月から1948年5月まで国際連合安全保障理事会のソビエト連邦代表を務め、拒否権を連発したことから、ミスター・ニェット(ノーと言う意味のロシア語)と言う異名が付いた。1951年9月に締結されたサンフランシスコ講和条約については、その内容に反対して署名しなかった。


1957年2月に外務大臣に就任し、在任中の1983年3月に閣僚会議第一副議長(第一副首相に当たる)を兼任した。1985年7月まで同職を務めた後は、最高会議幹部会議長(国家元首に当たる)を1988年10月まで務めた。


1989年7月2日にモスクワにて、79歳で死去した。


その他編集

  • 18世紀にエカテリーナ2世にシベリア送りにされた異端派を祖先に持つ。

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