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概要編集

ゲオルギー・マクシミリアーノヴィチ・マレンコフ(ロシア語:Георгий Максимилианович Маленков、ラテン文字表記:Georgy Maximilianovich Malenkov、1901年12月6日 - 1988年1月14日)は、ソビエト連邦の政治家。1953年3月から1955年2月まで同国の第2代閣僚会議議長であった。スターリンの重要な側近であり、その死後は閣僚会議議長(首相)として、フルシチョフらと共にソ連の政治に影響力を発揮した。スターリンから後継者として指名されたが、フルシチョフの謀略によって失脚する。発電所大臣などを経て、その後モロトフらと共に反フルシチョフを掲げ運動を起こすが、逆に反党グループとされ党を追放される。1919年6月から1921年9月まで赤軍の政治将校であり、1920年4月に共産党に入党して赤い皇帝の腹心の1人となった。



経歴編集

1902年1月13日にロシア帝国のオレンブルクで、マケドニア人移民のもとに誕生した。マレンコフの父はオレンブルクの裕福な農家であり、若い頃のマレンコフは時々父の農作物販売の仕事を手伝った。母は鍛冶屋の娘であり、正教会の司祭の孫娘だった。1919年6月に赤軍に所属し、ロシア内戦では政治将校として白軍と対峙した。1920年4月に共産党に入党し、その後は軍を本拠とするモスクワ高等専門学校の共産党書記を務めた。1925年9月にモスクワ高等工科学校を卒業し、1941年6月に独ソ戦が開始されると国家防衛委員会の委員となり、各戦線の戦力の組織化に尽力した。


第2次世界大戦終結後編集

1946年3月に党政治局員に昇進し、同年8月から1953年3月まで閣僚会議副議長(副首相)であった。その後は政敵であったジダーノフやベリヤによって追い落とされたが、ジダーノフの失脚によってすぐにスターリンの腹心に戻った。ベリヤはマレンコフの傘下に入り、彼らは「レニングラード事件」なるものを捏造し、ジダーノフの同調者を全て強制労働収容所に追放した。


最高指導者編集

1953年3月5日のスターリンの死去によってマレンコフは『閣僚会議議長(首相)党書記局筆頭書記』となり、暫定ながら最高指導者となった。しかし集団指導体制を構想したマレンコフはすぐに筆頭書記の職をフルシチョフに譲った。副首相兼内務大臣となったベリヤはスターリン批判を展開したが、マレンコフはそれを支持しなかった。この行動はフルシチョフにとっても承認できるものでは無く、ベリヤは逮捕・処刑された。マレンコフの最高指導者としての期間は9日間と歴代の中で最短である。


核兵器への反対編集

閣僚会議議長の在任中に「核兵器は世界の破滅を招く」と宣言して、核兵器に反対する立場を表明した。このような西側諸国との平和共存を模索する方針は強硬派から反発を受け、1955年2月に閣僚会議議長を辞任したが、党政治局には留まった。


フルシチョフの追い落とし編集

1957年6月にブルガーニン、モロトフ、カガノーヴィチらの「反党グループ」を主導し、フルシチョフを失脚させようとした為に党政治局からも辞職させられた。


その後編集

その後は国内を転々とし、カザフ・ソビエト社会主義共和国のウスチ・カメノゴルスクにあるダム水力発電所の指導者となった後、同じくの炭鉱都市のエキバストスにあるエキバストス第一発電所の所長を務めたが、1961年11月にエキバストス市党委員会によって党籍を剥奪されて党を追放される。その後はモスクワ市内のアパートで年金を受けながら余生を送り、80歳を過ぎてからはモスクワのイェロホヴォ大聖堂(Elokhovo Cathedral)の教会合唱団に所属していた。


マレンコフが晩年を過ごしたアパートの隣人は、同じく反党グループとして失脚し、党籍を剥奪されて年金生活に入ったラーザリ・カガノーヴィチであった。失脚後は不遇の晩年を過ごしたマレンコフだが、生涯を通じて共産主義者であり続けたとされる。1988年1月14日に86歳でひっそりと死去した。


家族編集

1920年5月にヴァレリヤ・マレンコワと結婚し、3人の子女が誕生した。


関連タグ編集

次代☞ニキータ・フルシチョフ

マなんとかさん(ネタとしての解説)

なんとかさん

ソビエト連邦共産党 ソ連


出典編集

マレンコフの伝記

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