概要
シンクロニシティは、吉本興業で活動する日本の男女お笑いコンビ。フリー時代は、コンビ揃ってサラリーマンと兼業していた。
メンバー
よしおか(1994年10月2日- )(28歳)
ボケ担当、立ち位置は向かって右。
神奈川県出身。本名及び旧芸名は、吉岡 陽香里(よしおか ひかり)。
一年の浪人を経て、中央大学文学部卒業。
中学時代は水泳部でシンクロナイズドスイミングを経験、高校では吹奏楽部へ入部し担当楽器はクラリネットだった。
コンビ「晴天サンティ」を組んでいた頃はネタを作っていた。現在は架空の女性コンビ「お花畑ランド」のネタを自身のブログに綴っている。
三橋ひかり(ウェンズデイズ)とは出身中学が同じ。
西野(1994年3月23日- )(28歳)
ツッコミ・ネタ作り担当、立ち位置は向かって左。
東京都出身。本名及び旧芸名は、西野 諒太郎(にしの りょうたろう)。
中央大学商学部卒業。
小学生の頃は野球をやっており、父親の影響でプロ野球選手より社会人野球の選手になるのが夢だった。
本業は公務員。
同じ中央大学落語研究会出身のマリオネットブラザーズ曰く、落研時代はカリスマ的な存在で周囲に強く影響を与えていた。
コンビの仕事の窓口を担当しており、メールアドレスとTwitterのDMで仕事を管理している。
来歴
よしおかは幼少期から『爆笑レッドカーペット』『爆笑レッドシアター』などのお笑い番組が大好きで、更には妹と一緒におもちゃのラジオへ録音して遊ぶというのを繰り返している内に、「なんか私面白いな」と自信をつけていった。
西野は、バラエティ番組を録画し土日にそれをずっと流していた父親がいたためお笑いが好きになった。小学校では係決めの際に担任から「漫才係」へ任命され、週3日の中で15分の漫才をクラスメイトの前で披露していた。高校では人見知りになって誰とも喋らず『JUNK』を聴きながら、誰とやるでもないネタを書いていた。
2人とも中央大学へ進学し、落語研究会に入会。西野が3年生時に1年生だったよしおかは社会人に向けて人前へ出るための練習として入った。入学してから西野は井坂航とコンビ「30度バンク」を結成。当時からネタ作りを担当し、2015年には「関東大学生お笑いグランプリ」、「国民的大学生グランプリ~大学芸会~ 個人戦」にて優勝を果たす。M-1グランプリでは3回戦進出するも、翌年の大会では1回戦敗退に終わる。お互いの大学卒業・就職に伴って2016年3月に30度バンクは活動休止(事実上の解散)となった。
一方、よしおかが東京学芸大学のお笑いサークルGOCに所属していた飯森七重と組んだコンビ「晴天サンティ」は「大学芸会 個人戦」にて審査員賞、M-1グランプリ2016では初出場ながら準々決勝まで進出しベストアマチュア賞を受賞するなど注目を集め、テレビ番組から複数のオファーも来ていたほどだった。しかし、よしおかはこのままこのコンビで世に出ていくという想像ができず先が見えないと考え、2017年2月に晴天サンティを解散した。晴天サンティ時代は「なぞなぞ」をテーマにした漫才をしていた。
進級してから2人は大学の文化祭で周囲の人々から結成を勧められ、西野は就職が決まっていたがよしおかから西野に声をかける形で現在のコンビとなる。
2021年6月28日、よしおかの体調不良により当面の間コンビとしての活動休止を発表した。西野は個人での活動を継続後、同年12月17日の西野のTwitterよりコンビ活動の再開を発表。
2023年4月2日、フリーから吉本興業の所属になったことを発表した。また、これまではサラリーマンとの兼業芸人だったが会社を辞めてお笑い一本で活動することも公表した。これについて本人たちは「(会社と)両立するのが限界だった」と話している。所属先を吉本に決めたのは、それまでフリーだったので、フリーとは逆の所を選びたいと思い、よしおかは「自分と近い年齢の女性芸人がたくさんいる所がいい」という意見も取り入れて、他に芸人仲間から話を聞いたりしながら決めていったという。
芸風
漫才とコント両方を演じる。M-1グランプリとキングオブコントでは両方で準々決勝まで進出経験がある。控えめで内向的ないわゆる陰キャであるよしおかがボソボソと不条理なボケを放ち、西野が翻弄されながらもツッコむスタイル。
ネタ作りの際はよしおかから「文字で見て面白さが分かる」「お笑いの構造に触れることはやらないでください」などの条件を提示された上で、西野が請け負っている。男女の恋愛ネタは同じく男女コンビである相席スタートの足元にも及ばないと自覚しているため、絶対にやらないという。社会人兼業芸人であることに加え、「ライブは(賞レースにかけるネタの)参考にはならない」というよしおかの考え方から、ライブの出演本数は月1、2回程度に絞っている。
落語研究会入会当初のよしおかについて西野曰く「最初に彼女がアマチュアで『M-1』に出たときは、吉岡さんが大きな声で漫才コントをやっていて、まったく笑いを取れてなかったんです。それで普段のほうが面白いよって話になって、そのままの感じでネタをやって『晴天サンティ』で準々決勝に行ったんです。そこから、もう二度と明るくなることはなくなりました(笑)」と語っている。