概要
介護殺人とは、家庭内などで介護をしていた者が介護されていた者(被介護者)を殺害してしまう殺人事件の類型である。
大体が家庭内での殺人となるが、介護職員による殺人事件もある。
殺人は通常、犯人に対して死刑を始め最も重い処罰と非難がされるが、介護殺人、特に家族による場合は加害者サイドに同情されることが多く、処罰も軽くなる傾向がある。
なぜ同情されるのか
介護殺人の場合特に被害者に落ち度がある訳ではない場合も多く、介護者への信頼を裏切られた被害者の無念は察するに余りある。
だが、それをも上回るほど介護する側が非常に過酷な環境に置かれがちなのが同情される主な原因である。
老人ホームなどに高齢者を入れるだけの金銭的余裕がなかったり、高齢者自身がどうしても自宅にこだわる場合、介護は家族にゆだねられることになる。
ヘルパーなどの派遣が得られるケースもあるが、かかりきりになるのは結局同居する家族である。
特に家族が高齢者や障碍者の介護をする場合、介護者には想像を絶する負担がかかる。
介護は1日たりとも休むわけにはいかないし、報酬がある訳でもない。
介護の際に目を離して被介護者が死んでしまったり、徘徊した被介護者が何らかの加害行為をしてしまうと介護者が責任を問われることもある。
それなのに、生活をするためには介護と仕事を両立していかなければならないこともあるし、介護する側も要介護一歩手前の高齢者だったり、若者が介護をする場合は学業を実質諦めるほかなくなることもある。
被介護者側が、素直に介護者に感謝してくれるとは限らない。
被介護者の精神に障害が発生していたり、思うようにならない自身の体への苛立ちから、最も身近な存在である介護者に当たり散らしてしまうこともしばしばである。
また、介護者が疲れ果てて周囲に助けを求めても、周囲から「家族なんだからそれくらいやって当たり前」という叱責と共に突き放されたり、そもそも相談できる「周囲」がいないこともある。
役所などの支援制度もまだまだ十分なものとは言えないし、ヘルパーに怒りをぶちまける被介護者が、家族だということを聞くので結局家族の介護者がやるしかないこともある。
介護する期間には制限がない。
被介護者が生きている間はずっと介護を続けなければならず、10年20年と続いていくこともあり得る。
こうして追い詰められ、精神的にもノイローゼに陥った中。
被介護者を殺害すれば…という悪い気持ちが沸き起こってしまったら。
ちょっとした被介護者の問題行動にかっとなり、気が付いてみれば。
無理心中しようとして介護者だけが生き残ってしまった。
そんな形で起きてしまうのが介護殺人である。
2006年に京都伏見介護殺人事件がきっかけで検察官、裁判長を始め法曹界でさえ同情かつ異例の執行猶予付有罪判決と社会問題に対する批判と警鐘を鳴らす異例の事態となった。
介護殺人では、故意の殺人事件でありながら情状酌量の上執行猶予がつけられるケースも少なくない。介護する者のおかれた過酷な環境は殺人という行為を正当化はできないまでも、強く非難することはできないという考えがあるのだ。